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May 2005

May 28, 2005

初恋 ラスト前

vol.16
再び話は佳境に入ってくる。

チャヌは2次試験に向けて猛勉強中。引き立て役になっている先輩といい感じ。孤独な彼の姿も切なくて良いけれど、ほっと出来る笑顔も見たいもの。

チャニョクは除隊目前で、ヒョギョンが留学せずにソウルで自分を待っていることを知る。

チャニョクはヒョギョンに留学するように頼むが、ヒョギョンは断る。家族と愛する人のどちらの幸せをとるのか。
それは、他者を決して傷つけられないチャニョクにとっては、自分が選ぶことが出来ない選択だ。彼は愛する人に「自分の家族の平穏な幸せのためには自分たちの愛を犠牲にしなくてはならない」ということを、どうしても彼女にいうことができないのだ。

2人の2度目の再会。
「現実を見ても気持ちは変わらない」ヒョギョン。自分が決してヒョギョンを忘れることはできないと知っているチャニョク。それでも家族の平穏な生活やチャヌの将来を守らなくてはならない。もしも、自分たちの愛を優先させた結果再び家族を取り返しのつかないほど傷つけてしまうことになったら。間違いなくそうなることがわかっているのに、愛することをやめられないのか。チャニョクは自分にではなく相手に忘れることを強いなければならない。けれども、強いることで相手の気持ちを左右することは人間には出来ない。

チャヌは、家族のために司法試験に受かる目標と兄や家族への愛だけで、彼自身の初恋の思いを封じている。
兄と初恋の女性が何の障害もなく愛し合っていたら、チャヌはもっと平凡な苦しみに襲われていただろう。障害があるからそのたびに彼は兄への愛を自覚していられる。ヒョギョンへの思いを兄の愛の成就に転化していられる。

チャニョクとヒョギョンはどうすればよいのだろう。
この作品のすごいところは、観ている者(視聴者)にも「何が2人のために1番良いのか」決められないところだ。

話の展開の中では、いつも、チャヌが「見ている人」になって、何をするべきか言う。
「兄さんはヒョギョンに会うべきだ」
「2人が再会しただけで喜んでいないで兄さんが画家になる夢に向かわせろ」
「兄さんは逃げるしかない」
「兄さんのことは何も教えない。2人が一緒になれないという現実を受け入れるべきだ」
「ヒョギョンは兄さんを忘れない。兄さんもヒョギョンを忘れない。これはもう、運命だ。運命は受け入れるべきだ」

2人の愛の前には、変わらない現実と変えられない運命がある。
だから、2人は愛し合い続け、それによってチャニョクとその家族が傷つけられる現実を受け入れるということになる。
チャニョク自身が傷つき、チャヌが司法試験を諦めなけえばならない展開に、どうしてもなるわけですね。そして、チャヌが要所要所で一番辛い目にあうのです。これはなかなか、よくできた脚本です。ちょっと、周辺の人々の話が多すぎるけど。

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May 25, 2005

初恋5 

vol.13~16後半突入。

ヒョギョンとチャニョクの2度目の分かれ。チャニョクは入隊。ヒョギョンは大学に合格。チャヌは休学しカジノで働いている。

「リンチされるチャヌ、逃亡するチャニョク」の山場を越え、話はスローダウン。チャノクの新婚生活、一家の引っ越し。兄が軍隊に入り、姉が結婚し、チャヌは愛情の対象を失って、それでも一家を支えているのはチャヌなの。どんどん冷たくなってゆくチャヌ。賢い彼の表面に現さない深い自己犠牲は、チャニョクのようなわかりやすい誠実で優しい言動よりもずっと自分を傷つけてゆく。チャヌ、ヒョギョンを拒否するあなたの横顔の、つらく綺麗な顔ににうっとりしてる。貧乏で懸命に勉強する姿もよかったけれど、カジノでかっこよく働くクールな姿もまた、釘付け。

しかし、作品としてはこのあたり中だるみ状態。チャヌ見たさに、延々とぬるまってしまったシーンにつきあって睡眠時間を削っているのは、本当はかなしく腹立たしい。もっとチャヌを出せ!とにかく、必然性のないエピソードの羅列は視聴者に失礼です。あ~ねむい。

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May 22, 2005

初恋4

vol.9(27話)。ヒョギョンとチャニョクのチュンチョンへのドライヴ、事故のため外泊したことで、2人が会っていることがヒョギョンの母に知れる。叔父ワンギの手下に襲われるチャニュク、まで。

チャヌ、あんたが好きだよ。大好きなお姉さんに「バカ」と言ってしまって、そんな自分の傲慢さに気づいても、それでも家族の全部をしょって、チャニョクとヒョギョンの逢瀬を知って、自分の行く場のない愛を見えないように封じ込めて、チャヌそんなあなたがいとおしくて。

わたしは昨夜酔っぱらってちょいと夢を見た。BYJがいなかったら、悪酔いするような夢だったな。わたしは、もしかしたら、30年前よりもずっと彼のことがよくわかって好きなのだけど、だとしたらこれはすごいことだ。10代の自分の時からわたしの「好き」は的の真ん中を射ている。それがあまりにもよくわかって、自分の幸せの中心が見えて、もしも、今、BYJがいなかったら、中心が何か見失ったかも知れない、と。

vol.10 リンチされるチャヌ。傷だらけでも、きれいなあなたはきれい。あなたが演じる人にいつも恋してる。これは私の美意識の世界の中の恋なの。それが、30年前の高校生の私から、ずっと、私の中にあり続けている私の中心なんだ。

初恋を見た後に、キムタク主演の「エンジン」が目に耳に入る。傷つかないために的をはずし続ける会話。乱暴で子供っぽい物言い。増長したお子さま社会の日本に疲れ切った中年女性が、韓国ドラマにはまるわけが透けて見える。自分の罪に正面から煩悶せずに権力に居続けた男たち。その後ろにちょこんと守られてきた思考をしない女たち。消費者として奉られてお菓子とオモチャと権利と自由と他人を嘲笑する番組と不作法と強者におもねる政治的発言をあたえ続けられた子供たち。彼らがためにためてきた幼児的な傲慢さ。今の日本のテレビにそのまま映っている。ニュースにもドラマにもバラエティーにも。

チャヌ、あなたが好きだよ。あなたを見ていると、今の私をとりまく日本の社会を忘れていられるんだ。これが「逃げ」でも、しかたがない。逃げるが勝ちのときもある。BYJ、あなたに出会っていなかったら、私の美意識は壊れていた。

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May 17, 2005

ゴッホ展

日本人はゴッホが好きなんだと聞いたことがある。どんな根拠で言われた言葉か知らないが、確かにゴッホは有名だ。有名な画家はたくさんの人を展覧会に集める。混雑を避けて月曜日の午後に出かけてみた。それでも入場までに40分待ち。どの作品の前も、とても集中できる状態ではない。

それでも、彼はそこにいた。

過去に、ゴッホを狂気、孤高、悲運の画家として認識させる情報を受け取ったことがあったのだろうか。わたしが、画家としての彼にそんな先入観を抱いていたのはなぜだったのだろう。それとも、彼の作品に見られるゆがんだデッサンや色の重ね方に、尋常でない「世界の見え方」を感じ取っていたのだろうか。

今回私が彼の作品に会いに行った最大の理由は、もちろん、去年オルセーでおきた奇跡を、また味わいたいと思ったからだ。

奇跡は起きなかった。作品に集中するには人が多すぎた。
けれども、去年オルセーの彼の絵の前で奇跡が起きたわけを、知った。

ゴッホの絵は、ただ、ひとえに美しい。こんなに美しいと知らなかった。
彼は、絵を描いたのではなく、彼に見えるままに美を描いたのだ。彼の作品は絵としては破綻している。それなのに、美しい。人々が見過ごすようなつまらない単調な作品でさえ、みつめていると、描かれた梢の緑の重なりの中から「綺麗」があふれ出す。ましてや、色彩が踊る「サン・レミ修道院の庭」のきれいなこと。いつまでも見飽きない。「古靴」のたたずみの緊張感、その美しいこと。彼の感じた美がそのままそこにある。

その美への感受性が社会生活と共存できなかったとしても、それゆえ彼が社会的には狂気の人として生きたとしても、彼の作品は狂気を表現したものではない。

ゴッホの絵は、ただ、ひとえに美しい。こんなに美しいと知らなかった。
彼の作品のあまりの美しさゆえに、去年オルセーで、わたしは彼の世界へ落ちていったのだ。
彼の蒼、彼の黄、彼の翠、彼の紅の、あふれる色の光の中へ。

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May 15, 2005

初恋3

15話ヒョギョンとチャニョクの3年ぶりの再会まで。

本当に癒されている。日本にも昔はあった貧しさ、家族のつながり。いたわりあい。

BYJの演じるチャヌのいとおしいこと。屋根裏で勉強する彼をいつまでも見ていたい。

ヨソクはミニョン・チュンサン系。望みをもつことを諦めて、諦めるという道をただ進む姿。私の心が彼に共鳴し、彼の仕草、彼の表情に自分の心の表情が重なる。
チャヌはシン・ドンヒョク系。一心に望むものを手に入れようとして細い切っ先の上を歩くような姿。いとおしくて抱きしめたくなる。心のなかで抱きしめて、癒されてゆく。

今、家族にも仕事にも心を入れたくない。傷つきたくないから。それで、心を入れられるこの場所に、こんなふうに時間を無理矢理こじ開けて入り込む。私の心にとってはこちらが現実の世界。仕事も家族もバーチャル・仮想空間。正確に言えば、仕事上の人間つき合いや家庭上の人間つき合いが私の心にとっては「作業・または演技の場」になっている。
かつて自分に嘘をつくことをあれほど嫌っていたのに。今は、仕事でも家庭でも本当の私の心を開くことを諦めようとしている。自分の心を守るために。
この先に何があるのか知らないけれど、私の心はBYJと歩いてゆく。

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May 14, 2005

最終:裸足の青春

2日間の泊りの仕事。ピヨピヨ管理職だけがはしゃいでた。約1日半、四六時中あの連中といることの苦痛。

家に帰って山積みの家事。家族にがっかりしたりむっとしたり。それでも、家事は自分の時間に限りなく近く、救われる。ひとつのことへの諦めではなく、いろんな種類のさまざまな方向への諦めが、私の中でバランスをつくっている。

裸足の青春の11話~最終話、レンタル返却の前に見直す。いろんな方向への欲を残らず捨ててゆくBYJ。諦めてゆく彼の横顔。諦めてゆくしか頑張れる方向がないのだ。2回目に見た今日は何度もぼろぼろ泣いた。仕事でよほど心が疲れていたのだろう。
ヨソクが父親と兄と彼らの所属する世界を徹底的に拒絶する演出があれば、そこに深い葛藤をえがければ、この作品は名作になっていただろうに。

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May 07, 2005

続・裸足の青春

16話最終回終了。

メロドラマではなく、男たちのドラマ。韓国版ロミオとジュリエットではなく、韓国版ゴッド・ファーザー。
韓国得意の家庭内の葛藤なのだけれど、母親不在。心の中の母や恋人を思いつつも、闘争に生きる宿敵、父と子、兄と弟、親分と子分、兄貴と手下、つまり男たちのお話です。そして、男たちって、権力と暴力が本性的に好きなのね。どの役者も大好きだって顔して、つまり良い顔して演じてる。みんな存在感がある。お笑い2人組のスキンヘッドの方までいい味になってくる。

特にイ・ジョンウォンの義兄役がすごくよいい。頭が悪くて粗暴で自分が寂しいと言うことにさえ気づいていなかった兄が、賢く凛々しくかっこいいペ・ヨンジュンの弟と対比される。兄が弟をくっていた。さすが。駄目な兄役が光っていました。ドラマでは優等生役の方が分が悪いと言うこともある。だけど最大の原因は、ペ・ヨンジュンだけが、この作品に出ている男たちの中でただ1人、権力と暴力を本性的に好きでない、というところにあるのかもしれない。彼だけが、もしかしたら、権力と暴力が男をとりこにする性を持っていなかったのではないか。逆に女優ではエジュ役の女優さんがよかった。それは、彼女が男の性を理解していたからだ。

不思議に、この作品はBYJの動画の写真集のようでもありました。どの彼もきれい。長い足の回し蹴りも、警官の制服姿も、革ジャンも、喪服のスーツまで、よく似合っていた。一番綺麗だったのは、警察大学を辞めてゆく彼。制服を脱いで学校を去ってゆく姿のかっこいいこと!それから、警察大学も愛もあきらめて祖父の学校で子供たちと生活する穏やかなあきらめのすがた。
なぜか、わかる。彼は持っているものをすべてあきらめて捨ててゆく時に最高の演技をするから。

あれだけ美しい旬のBYJの代表作になっていたかもしれなかったのに。彼が、実の父を憎み兄を憎みヤクザ社会を憎む演技をしていれば。そうすれば、父と兄を愛していたことに気づく結末がつくれたのに。それは実に美しいラストになっただろうに。でも、本性的に権力と暴力が好きではないと言うことは、それを好む男たちへの理解だけでなく憎悪も持たないと言うことだ。だから、彼はそう演じることが出来なかった。きっと、監督が彼を理解できていなかったのだろう。監督が当たり前だと思っている権力と暴力への欲望をBYJが持っていないということを。

は~。あんな綺麗な彼が、もったいない。彼にもこの悔しさを感じて欲しいよ。彼は自分で気づいているのかなぁ。自分にないものが何か。

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May 05, 2005

裸足の青春

「初恋」BSー2放映でのカットシーンにたまらず、レンタルDVDに走るも、同じ気持ちの人間はいて当然で、連日レンタル中。それでも昨夜は仕事の疲れから、どうしてもBYJが見たくて、「初恋」の代わりに「裸足の青春」を借りた。

「暴力シーンが多すぎて、・・・ペ・ヨンジュンと監督の不仲説まで流れ・・・(作品として)問題はあったものの・・・」などと書かれていた作品。だから、昨夜の状況でなかったら、見ようとしなかっただろう。期待もちっとも高くなかった。でもまあ、BYJが見られるから・・・その程度で見始めた。

そこにいたのは、20代後半の、まさに旬の、BYJ。
初恋の幼さが消え、群像や冬ソナよりもみずみずしいBYJ。

一気に10話まで見る。全16話なのであと6話を残すだけだ。1話に少々暴力的なシーンはあったものの、あとは不必要な血や暴力はほとんど見られず。そして、つらい運命に耐え闘おうとするBYJの凛々しく美しくかっこいいことったら・・・・・。冬ソナのチュンサン全開といったところでしょうか。顔も名も知らぬ父を捜し求めるところや、親に由来する理不尽な運命の犠牲になるところなんて、ほとんど同じだし。BYJはこの手の「不幸」を演じるときホントに素敵だ。(いやまあ、いつも素敵ではあります)

粗暴なだけの義理の兄サンヨプが、どう見ても自分より綺麗で頭のいい弟の出現で劣等感を募らせる姿もなかな
か良い。粗暴なやくざを拒否しながら次第に彼のなかにある寂しさを見せられて拒めなくなってゆくエジュもうまい。やくざと検察部長の両方の父親とも存在感があってこれまた見応えがある。中盤以降こちらに比重が重くなり、ヨソクとヘジュンの「会わない方が良かった」悲しい恋の描き方が足りない!という不満は出るものの、韓国ドラマ特有のどろどろ感が少なく、つらい気持ちをさらっと描いているのがわたしの好みかも。

やくざにはならない!と言うヨソクの悲痛な声。それでもつらさに耐えきれずヘジュンに電話をしてしまい、訪れた彼女を見上げたときの、BYJの表情。この彼を抱きしめずにいられる女性がいるでしょうか。(もちろん、たくさんいるでしょうが)
彼の、あの、必死に耐えようとする、あの表情は・・・。

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May 03, 2005

BYJ

やだな、初恋ノーカットDVDで、すこーんといってる。

ちょうど、1年たって、BYJが変えた私を思うの。もちろん、その半年前の「リチャード3世」とちょうどその日に起きていためまいと仕事への怒りあきらめさげすみきりはなし、だから別の方向へスイッチを入れて、自分の幸せを考え初めて、その時に神様がわたしにもたらしてくれたのが、BYJだった。

いつも思うんだ、彼(神さま)はまちがわないな、と。

彼は間違わない。彼は演劇を提案し、映画を見せ、バレエの幸せを与え、そして、準備の出来た私のなかに水滴を落とすようにBYJを落としたのでした。BYJは水面(みなも)で波紋が広がるように、私のなかの隅々にまで静かに広がっていったのでした。彼へ感情が落ちているときはいつも、彼の美しい表情が私の心と連動します。不思議ですよね。彼が演じる人間に心が共鳴してしまう。自分が揺らしているわけではないのに、弦が揺れ始めてゆくような。これはいったい何なんだろう。

彼(BYJ)が演じるキャラクターにいつも恋してしまう。これはいったい何なんだろう。

私の人生の最大の趣味が恋愛であるのなら、その対象がBYJの演じる人なのは、現実問題として幸せなことです。今、生身の人間相手に恋愛をするゆとりは私には皆無だから。彼が演じる人物は私の恋愛の対象としてこれ以上の好条件はない。

彼が演じるとき、そのキャラクターは重すぎず、軽すぎず、自己犠牲は私の疲れた心をそっとわくわくさせる。彼の動きは素早くて、彼の立ち姿は静かで、彼の声は私の心をとろけさせる。彼のつくる世界へ私は静かに落ちてゆく。落下の1秒1秒に幸福を感じながら。

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初恋2

DVDで9話まで。

チャニョクは姉に乱暴した映写技師を襲ってチュンチョンにいられなくなり、ソウルで暮らし始める。ヒョギョン一家も父のソウル進出でソウルに越してくる。ふたりはもう少しのところですれ違ってあえない。そして2年後、チャヌは大学入試の試験を受けている。

こう書くと、確かにこの物語は身分違いの恋に翻弄される恋人同士のお話。なのだけれど、画面を見て心惹かれるのは、どうみても、兄とヒョギョンを愛すればこそ自分の気持ちを表すことにさえ耐えるチャヌの初恋の切なさ、父も兄も姉も守るために家族をすべて背負ってゆくチャヌの思い。
・・・というわけで、若き日のBYJを堪能できる。幸せ!

それにしても、NHK放映のカット版はちょっとひどすぎませんか。これではただのダイジェスト。9話分が5話になっている。1/3以上切られているので、話のあらすじを追ってるだけ。

チャヌが父の解雇を知ってバイクを暴走させてトラックと接触、転倒。ここでソクジンと会っている。これからの2人の絡みを予感させる大事な場面。
乱暴されたチャノクがチャニョクに父を心配させないように切望するシーン。
ヒョジョンの母が弟のワンギの肩を持って、チャニョク、チャヌ兄弟への憎しみを募らせてゆくシーン。
トラックに乗って別れさえ告げずに去るチャニョク、彼が乗るトラックを追って走るヒョギョン、2人の姿をその後ろから見るしかできないチャヌ。
チャニョクの身を案じて自分を責め、「私が死ねば良かったのに」とチャヌの前で泣くチャノク。
「これからは勉強する」と家族をすべて背負う決意をひめてトンパルに約束するチャヌ。
チュンチョンを去るヒョギョンを追ってトラックを走らせ、自分の初恋の届かないことを噛みしめて、愛する人への思いよりも家族の絆に生きることを自分に課して、花を折り姉に贈るチャヌ。

と、このように重大なシーンがすべてカットされているなんて、信じられない!これじゃ、ドラマにならない。
だから、放送分だけ見ていたときに、チャノクやチャニョクに全然切なさを感じられず、「バカじゃなかろか」と思っちゃったし、ヒョギョンとチャニョクの初恋のお話とは思いもよらず。

そして。
吹き替えで見ているときも若いBYJはきれいだったけれど、彼の声を聞いたとたんに彼の表情に釘付けになる。彼の発声はほんの一息の半分くらい見ている人の予想より遅い・・・? 舌の先ではなくのどの奥から発声されているようなそのわずかな「ため」が、見るわたしをを彼のなかへ落としてゆく。

レンタルビデオ屋に走り、レンタル中。は~。困ったな。
BYJ、あなたが描く男たちにことごとく恋をしてゆくわたしをどうしよう。


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May 02, 2005

初恋

NHKーBS11で放映始まる。

おやっ、カットされているぞ、と感じ始め、今日レンタルDVD借りてきて3話までみる。1,2話はほとんどカットはなかった。ところが、3話はカットカットカットの嵐。BYJのバイクの有名なシーンまで!このシーンを消してどうするの?66話を40話に短縮したものを売っているという話は本当だったのね。

はー、22本のレンタル代金は8800円。これから毎週1本ずつ借りてくるわけだ。

どの役者も吹き替えより生の声が良いに決まっている。といわけ、BYJは、彼の声でなければ、彼の演技ではないと、痛感。初恋のBYJを見て、彼にひかれないひとなんているわけない!と、叫んでしまいたいほど、きれいだよねぇ。お兄ちゃんのチャノクとのバランスもいい。

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May 01, 2005

コーラス

声が流れる。感情が落ちてゆくより先に、涙がつーっとわたしから出てゆく。

yahooの映画レビューには「ストーリーが陳腐」というのがあった。お約束の展開ということだろう。そのとおり。学校の生徒たちと教師の話だもの。話の大筋は決まっている。それは、映画の質にとってマイナスにならない。
派手な展開で生理的な刺激を与え続ける場面。予想を裏切る驚愕のシーン。そんなものでは、私のリストには入らない。わたしは映画に(映画だけではないな)そんなものを求めていない。

13歳のジャン・パティスト・モニエの「天使の顔と悪魔の心を持つ少年」とジェラール・ジェニのただのおじさんぶりと。この2人のアンサンブルが素晴らしい。繊細な少年がたった13か14年生きてきた中でいかに人々によって傷ついてきたのか。見ているわたしたちにはすぐにわかる。そこがいい。ただのさえないおじさんがその数十年の人生の中で、自分の夢に自分自身で傷つき、たくさんのことをあきらめてきたのか、観ているものにじわじわとわかってくる。そこがまたいい。2人の傷ついた自我がコーラスによって癒されてゆくさまが、見ているわたしたちをうっとりとさせるのだ。そんなことはありっこないさ、という声ばかりの社会で、ほんとうは皆信じたいのだ。こんな形の幸福を。

マチューが学校を去るときに窓から降ってくるたくさんの紙飛行機。これは「映画」が勝利する瞬間だ。観客が監督にブラボーと叫びたくなるシーン。

美には2種類ある。私だけで密かに味わう美しさと、たくさんの人に勧めたくなる美しさと。
印象派やBYJが前者だとすれば、今日の「コーラス」は後者。確かに2種類あると確信した。
幸せの種類が違う。今日は何と言っても見ている間うんと幸せだった。そして、多くの人に勧めたくなる。これを普遍的と言うのだろう。

OSTを買って、聞いて、また見たくなって、翌日同じ映画を見る。せっかく美しい作品に出会ったら、幾度も味わう。そういう楽しみを、私の残りの人生に加えたわけだ。これも、去年BYJが私にした変化のひとつだね。

幸福は壊れやすいけれど、消えない。壊れやすいけれど、消えない。たったそこだけに、望みをもっている。

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