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August 30, 2005

ミルコの何度目かの敗北。

彼はまた、リベンジを望むのだろうか。それとも、今日の敗北を最後の敗北にするのだろうか。

プライド・ヘビー級・無冠の帝王ミルコ(クロアチア)対王者ヒョードル(ロシア)。

夏休みに入って時間がたっぷりあるはずの日々に一度もここをひらかなかったのは、なぜ?
時間があるようでいて時間に追われたかな。チャングムやソ・ジソプのDVD、USJや東北旅行やTDL。そして、ウィーン。いえ、仕事をしている毎日よりはずっと時間はつくれるのに。なぜかなぁ。気持ちにならなかったのは、なぜだろう。すぎてゆく時間がみんな私のものだったからだよ。仕事が始まれば、すぎてゆく時間のほとんどが私のものでなくなる。だから、私の時間を感じたくなる。私の時間を手の中に入れて確かめたくなる。美しいものを味わう力だけは確かにあって、そこに自分が確かにいる、という感触、時間が自分のものであるその瞬間をほしくなる。仕事から解放されている夏休みにはね、そんなことをわざわざしようと思わなくなるの。

で、仕事が始まる前に、また、自分の時間を感じたくなった。仕事再開はじめの「美しいもの」は、ミルコとヒョードルの試合だった。格闘技は暴力ではない。ヒョードルは充分凶暴だけど、彼らの肉体と肉体のぶつかり合いは、暴力の対極にあるものだ。飛び散る汗の光。美しいのは、鍛え上げられた血肉、とぎすまされて力を放たれようとする技、実はそれ以上に、神様が与えた自分の限界の中でのみ闘う志、それが美しい。その対極に、戦争を企画する者たちの醜さが見える。他人の能力や労力を使役して暴力をおこなう者たちの心の醜さ。ひとの力を何に注ぎ込むのか、問うて見れば、美しさと醜さがくっきりとする。

なぜ戦争を美化するのか、戦争に美がないからだ。ないから無理して「美しさ」を塗りつけなくてはならない。格闘技を美化する必要はない。むき出しの暴力に見えても、格闘技にあるのは暴力ではない。

神が与えた自分の限界の中で究極の努力をするよりももっとお手軽にヒーローになりたい者たちが、特攻隊を美化する。決して自分の人生をかけることなく、他者の幸福を奪うための組織暴力を醜く美化するインチキな装置のうえに乗っかれば、簡単に自分をヒーローに仕立てられる。お手軽で、悪と醜さの自覚を持たない者たち。彼らが人々から幸せをうばってゆく。ごっそりと。ゆっくりと。

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Comments

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Posted by: minecraft net | September 16, 2014 at 10:00 PM

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