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September 20, 2005

四月の雪

昨日見たばかりの映像を、今日の明け方夢の中でまた見たがっている。

BYJ主演の映画だからではなく、この作品が求める観客のひとりは私だと確信を持てるからだ。

この作品は、多くの「映画で楽しみたい映画ファン」を、拒否しているようなところがある。

絵が好きだったり、焼き物が好きだったり、動かないものへ自分の感情が落下してゆく曲芸が好きな人の心は、こ
の作品の中に入る。自分の感情を見つめているもうひとりの自分を少し苦々しく意識している人間に、この作品はたまらなくおもしろい。ぶつぎれのカットの間にあるあふれるるほどの感情。あえて語らないシーンの連続は、語り尽くすシーンの連続に等しい。

しかし、そんな観客がどれほどいるだろう。映画が好きな人々の中に。一般的な映画として考えれば、この作品が酷評のうけても不思議でない。

映画に観客が求めるのは観客の感情を噴出させる作劇。楽しい、悲しい、ナミダ、怒り、幸福。日常から飛び立てる時間。それが要求されていることだとしたら、この作品は反則だと思う。感情を強引に引っ張ってくれる優しい手はひとつも用意されていない。

作品に対する拒否的な評ばかりを見ると、自分の「好き」に自信が揺らいだりもする。自分のテリトリーになかった映画という分野に、絵や舞台とは違い、確信がない。うつくしさへの感じ方に確信はある。他の人が感じていなくても私には感じる、という確信。でも自分の要求基準が映画の世界のメジャーではないこともわる。

要するに、この作品は映画ではないのだ。詩か、夜に見る夢か、1枚の絵・・・。それを私は何度も反芻する。そう、なんども反芻できる余白のある作品。反芻する幸福を与えてくれる作品。むしろ普通の映画にはそれが無くて、映画の作劇の強引さがわたしには苦手だった。

BYJは私を裏切らないと、思い知った幸福。
世の中のあきれるほどの彼のファンのひとりでいることに、メジャーになるはずのない私はとまどっていた。しかし、彼の存在の美しさを、この作品で感じることが出来る人はごく少数だろう。だから、安心して私は彼が好きと言える。自分だけの美意識で確実に彼を見ていると、確信できたから。

作品のシーンのひとつひとつについて語るのはもう1回かもう2回か見てからだろう。
妻に妻の不倫相手(妻が本当に愛している人間)の死を告げたあと、号泣する妻の声を聞きながら部屋を出る。バスルームに立ちつくすソヨンが「ケンチャナ」と言い、彼女を黙って抱く。妻の携帯のパスワードがわからず携帯を投げつける。ひとつひとつのシーンが美しい。BYJが美しいのではなくて、シーンが美しい。シーンが美しい中に彼がいる。初めて彼をそんな風に見ることができた幸福を、ホ・ジノ監督に感謝している。

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