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September 23, 2005

精神の作業。

覇王別姫の舞台を美しいと感じられなかった。光の連続なのに退屈だった。退屈さは凡庸な演出の結果でした。

お台場の結婚式場はまるでTVドラマだった。チャペルに入る光線、チャペルの前を降りる階段に現れる花嫁と花婿、パーティー会場は庭(なぜそれをわざわざガーデンと呼ぶ)に面して開き、パラソルの下にデザートテーブル。
はじめから終わりまで、終始圧倒的な勢いで襲ってきたのは、安っぽさだった。あれほどあふれる安っぽさの連続は経験したことがなかった。ハウステンボスもUSJもTDLも、すこしは本物になろうとする背伸びがあったが、あの結婚式は自分を本物のおしゃれであると信じ切ってる、自己を疑うことを知らないニセモノの匂いばかりだった。ウィーンの教会の静謐と豪華を堪能してきた私に、あれを味あわせるのは、私にとっても対象にとっても少々残酷だったと思う。

自分がニセモノかもしれない、とうたがう。自分のいる場所がニセモノかもしれないと疑う。見えていないものの存在を意識し、聞こえていないことを自覚する。だから、目を凝らし耳を澄ます。想像する。知的ということは、精神の作業です。

「スチール写真が映した戦後60年間」、社会派のドキュメンタリーを見ながら、涙がぼろぼろ落ちて、自分の美意識を知った。自分はこれを美しいと感じていると。50年たっても消えない朝鮮戦争捕虜の入れ墨をけずった傷。戦争がおかした愚劣の証拠。醜さの数々。もちろん、醜悪な行為を美しいと感じているのではない。正当化された記録にかくされている醜さを「知ろう」とする意思、それを美しいと感じているのだ。人間の持つ醜さに怒る、そこには知性の原石がある。

感受性の切っ先は、いつも、尋ねている。彼が彼女がその出来事が作品が、自身の正当性を疑ったかを。精神の作業をしたかを。

感受性がOKを出したとき、美意識が落下してゆく。

明日は岩波ホールに「亀も空を飛ぶ」を見に行こうと思う。

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