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April 09, 2006

春夏秋冬そして春 キム・ギドク監督

映画は映像が動く。
映画では俳優が語る。
映像が動く分、絵画のように時間を止めて一点に潜り込んで行くことはできない。
俳優が語る分、俳優を味わう楽しみが映画の眼目になる。語られる事象や思索は作品の背景になる。
わたしには、それが映画の限界のように思えていました。映画に落ちて行けない理由だと思っていました。

キムギドク監督が放った矢は、わたしが「映画の限界、映画が到達できないところ」と勝手に思っていた領域のど真ん中を見事に突き抜けてしまいました。
どのシーンも「こうくるか」と、うめいて驚嘆して見るしかありませんでした。

何と言ってもまいったのは、後ろに見える木々や川岸が流れ動いてゆくさまでした。
筏の上のいおりは絶えず湖の上を漂っている。漂っている筏の向こうに見える対岸の森は静かにゆっくりと動いてゆく。しかも、川ではない、海でもない。小さな湖です。一方向を目指して疾走しているのではない。限りない水平線でもない。同じ森、同じ木々、しかし、一度として同じ見え方はしない。
映像でこんな哲学が語れるとは。まいりました。

その上、彼がフレームに入れる絵そのもののうまさは、極上です。
いつもほぼ中央に水面があり、現実の空気や光、筏の上に立つ庵や人、湖に突き出す大きな枝を広げた樹、対岸の景色が、水面にシンメトリーをつくります。
黒い枝の広がりの間から見えるのは輝く湖面。
白いもやがシンメトリーを消し白から黒の濃淡で山並みを映し出す。
夜の湖面に小さく浮かぶ庵の窓に輝く明かり。この上下対称には声を失いました。
すべてのアングルが完璧。無駄なもの余計なものは一切ない。あって欲しいものだけがあって欲しいところに配置されている。空間を区切る戸。観音開きする門扉。大きな岩山の仏塔に小さな子供の姿。山頂から臨む山間の指先ほどの湖と豆粒のような筏。
さらに光が完璧。ここで潤いが欲しいと思った瞬間に雨、色が欲しくなる瞬間に紅葉、まぶしさが欲しいときに凍った湖と日を浴びてひかる雪つぶ。

ただ生きているだけでは、こういう絵はみえません。こういう絵が見えるように生きるというのは、どう生きることなのでしょうか。

この映画の最も素晴らしいところは、清明な映像が人の業の重さを語るコントラストにあります。
茨木のり子さんの感想を聞きたかった。ル・グウィンの感想も聞きたい。これは、ゲド戦記に達してしまっていて、ゲド戦記を映画化する必要をなくしてしまっているように思いました。あえてゲド戦記とならべれば、戦うヨーロッパと受容するアジアとの対比になるのでしょうか。

この監督のほかの作品を見たいとは思いません。これがゴールでよいです。

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Comments

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