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September 2006

September 26, 2006

神へ。

2006年 9月7日。膝を抱えて泣いた。それから、蜷川さんのオレステスではない答えを考え続けた。
 「神は妬み、間違いを犯し、それでも人間は神の命令から逃れられない。
  神が間違えたとき、人はどうなるのか、どうするのか、どうするべきなのか。
  それを問うて必死に生きようとしてはじめて、
  人は“神から命じられるだけのこども〝ではない何者かになる」

9月21日。竜也。2週間でこの変化。やっぱり天才。客席でいくども小さくVサイン。

9月22日。最後列からみると、演出家の見せたいこの舞台がよく見渡せる。
 「復讐の連鎖」と「女たちの叫び」と「国家の無意味」。
 蜷川さん、もう、それはわざわざ演劇で言わなくても、わかってる。現実が演劇を追い越してしまってる。
 
9月25日。ラストのアポロンの声に向かうオレステスに、客席で小さくガッツポーズ。
 オレステスの神に向かう不適な笑みを、見たかったんだ。

アポロンに向かって叫ぶオレステスは、人が神と闘う姿。
テュンダレイオスに彼の娘を夫を裏切った妻として告発する声に、若者の残酷さ。
メネラオスに嘆願して惨めな自分をさらす姿に、生き残ろうとする男の強さ。
どんどん、オレステスの中に「こどもでないなにものか」が生まれてゆく。
館の2階でメネラオスに向かうオレステス、今日はオペラグラスで見続けてゆるむことがなかった。

変化のしかたがライフと違う。ひとつひとつ力業で抜け出してゆく。ラストの立ちつくすときの表情が、生き抜いた男の顔になっていて、思わず客席でガッツポーズしちゃった。
まだたくさん踏み越えていないせりふがあるけど、あと2回、必ず、舞台の上で彼が「なにものかになる瞬間」を見られる。考えただけでわくわくする。

吉田鋼太郎さんのメネラオス、すっかり楽しんでいて、竜也との応酬が気持ちいい。昨日はお互いに加速して、ちょっとはしり過ぎてたくらいだった。
瑳川哲朗さんのテュンダレイオスは、まるでオレステスの抗弁を知っているかのごとく、容赦なくオレステスを追いつめる。北村有起哉くんのピュラディスがオレステスと抱き合う場面、オレステスがピュラディスの腕の中で固い殻から抜け出てゆく。
男たちがみんな初日の絶叫から抜けて、人として、生きて神に立ち向かっている。

ブラックダンサーズ(コロス)と中嶋朋子さんは、演出家の要求のままに絶叫して、最初の舞台と全く変わっていなかった。あのテンションで最初から最後まで。多分、演じるのでなく、殺人の連鎖を女たちのエネルギーで告発したいのだろうけど、叫びはわかる、しかし、そこに美が生まれなかったら、女性が舞台にいる意味なんてないんじゃないだろうか。
メネラオスと、テュンダレイオスと、オレステスが生きるために言葉をぶつけ合って高揚してゆく頂点で、何でコロスたちのそろっていないコーラスかぶせて竜也の声の響きを台無しにしてテンション下げるのかなぁ。
特に後半、女たちの動きがどんどん俗っぽくそのへんの「おばさん」ぽくなって、ちょっと、まいった。怒りを美しく発してゆかせなくて、むき出しの表情を前面に並べて、女性を群舞で登場させる意味があるのかなぁ。彼女たちがめいっぱい頑張っているのが伝わるから、よけい疲れて。

竜也が話すときの、激情の中の、しんと静まりかえるあの瞬間が好き。激しさはああやって表現しなきゃ。
劇場中の人が同じ思いで聞いている、あの瞬間が好き。
彼が次に発する言葉の前に止める息の、あの聞こえない音が好き。静寂の中にも、激しさはある。
エレクトラもコロスたちも、「激しくむき出しに叫ぶ」のではない、もっと違った表現で神と対峙してほしかった。

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September 24, 2006

NHK世界遺産 エルサレム

突っ込みは甘いけど今の日本の中では良質の教養娯楽番組。

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地です。3つの宗教は一人の神への信仰の、3つの現れ方の違いに過ぎないのに、それぞれの信者にとっては、その違いが骨肉相はむ戦いになる。宗教の皮を一枚めくれば、生活の安定や精神的快楽の独り占めを望むものたち。当たり前に隣人と共生できる9人がいても、独り占めしたい一人の確信ある大声が勝てば、残る9人は「戦士」になるしかない。
(NHKの番組はユダヤ教とイスラムの対立の裏にある「キリスト教原理主義国」の作為を描かず、信仰の対立だけで描いている「半分だけ」の描写ですが、今の日本ではこれ以上ふみこめないでしょう。イスラエルの間接的同盟国になってしまいましたから。)

神は正しいが、人が間違って争ってしまう。
それは、この半世紀言われ続けてきた「宗教の対立を越えて平和をもぞむものたち」の声でした。
しかし、「神は正しい、間違っているのは人なのだ」と言う良識の声に、Noと言おうと思います。

神が間違うことを前提に、人は、互いの争う心を乗り越えるべきです。人殺しを命じる神を正しいと言ってはいけない。神が間違うことを認めようよ。神は人の中から、人を越えて、人の平和と戦いのために、生まれ出たものだと、もう、認めようよ。
宗教の権威が人の社会を安定させているのはよく知っている。ナポレオンの言葉(人間社会に差がある以上、天国では平等になれるという信仰が現世を平穏に保つために必要である)は本質をついている。
でも、神は間違うのだ。神が間違っていないか、人は疑い続け、神の間違いを正す。その行為をさぼっちゃいけない。さぼるものたちが、神を権威として利用して、人々から幸福な人生を奪い尽くそうとする。

神は間違う。
・・・唯一神信仰の世界では受け入れられない意識だけれど、ギリシア神の世界では知っている。
神が間違ったとき、人はどうなるのか。どうするのか。どうするべきなのか。
(2500年前、エウリピデスが、ペロロネソス戦争のさなかに、「オレステス」で、戦争をやめることができない人々に問うたことは、それなのだと思う)

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September 22, 2006

You got it !

2006年 9月 21日 19:00 開演。 9月7日から2週間。
長くて短かった。2週間、自由になる時間ぜんぶオレステスのことしか考えていなかった。

昨日のマチネのカーテンコールで珍しくガッツポーズをしたとか。夜を見ながら、客席で、何度もVサインをしちゃった。気持ちよく演じているのがよくわかった。もう大丈夫。まだ、60点を超えるくらいだけど、あとは、BESTまで、かけのぼってゆくだけって、わかる。今晩を含めて、東京であと3回、大阪で1回。もっと見たい。

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September 19, 2006

そして、彼のオレステスへ。

膝を抱えて泣いてから10日間。

この舞台は誰の悲劇なのか。オレステスの悲劇ではなく、エレクトラの悲劇の続きなのではないか。

わたしは、オレステスの物語が見たい。
オレステスの物語を見るためには、エレクトラから見た「かわいそうな」弟ではなく、オレステスの自我の哀しみをさがさなくてはならない。そのためには彼の物語の始まりを知らなくてはならない。なぜ彼は母親を殺したのか。彼の物語で語られている言葉はすべて、あとからつけた言い訳でしかない。
彼は彼自身の理由を持たずに母を殺し、その瞬間から、「人間の悲劇」が始まった。

彼のオレステスへ。

彼のオレステスが見たい。魂が震えるほど美しい彼のオレステスが見たい。
エレクトラの悲劇ではなく。
自分自身の理由を持たずに神託と姉の悲劇と友の援助に後押しされて、「与えられた」理由で母を殺したこどもが,自分のしたことを見た瞬間から,恐ろしい悲劇を自覚し,それが神の与えた理不尽な悲劇だったと知り,彼を平気で殺そうとする神々や人々に抗って,火花を散らしながら,生きることをつかみ取る,彼のオレステスが見たい。

良心の苦しみ,復讐の女神が放つ狂気,姉の悲嘆,黒衣のコロスたちの嘆き,彼を見捨てる叔父,母殺しを責める祖父,彼を処刑しようとするアルゴスの市民たち,演出家が激しく降らせる雨,

そのすべてをふみこえて,そこから,生きようとするオレステスを見たい。

不死でない人間は、永遠の命を持つ神から見たら「こども」にすぎない。
神は平気で「こども」に母殺しを命じ,平気で彼を狂気に落とし,苦しむ彼を見捨てる。
人にとっては悲劇だが,神にとっては悲劇にはならない。ギリシアの神は妬み間違いを犯す。気まぐれでわがままで人の不幸など眼中にない。

しかし,彼は抗った。抗って生きようとした。
人は神が与える理不尽な悲劇に抗って、生きようとする。
オレステスが戦った相手は,メネラオスでもテュンダロスでもアルゴスの市民たちでもない。
彼が戦った相手は神が与えた悲劇そのものだった。

長い舞台の最後に,アポロンは再び彼の前に現れる。
物語が始まるとき彼は子どもだった。けれども、物語が終わるとき、彼はこどもでない何ものかに変化している。
彼は彼を解放したアポロンに対峙して立つ。
不敵な笑みを浮かべ,彼は勝ち誇って神を越えたものとしてヘルミオネをその腕に抱くだろう。

そこには,山と降る国旗などいらない。
「こどもではないなにものか」になって,生きる意志を持ち,神に対峙して立つ,魂が震えるほど美しい,彼のオレステスを見たい。

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September 08, 2006

オレステス

9月7日。14時マチネ。(前日が初日だった)

2晩前にとてもはっきりした夢を見た。半年間楽しみに待っていたオレステスがひどい舞台で、それを怒っている夢だった。目覚めても正夢と思うはずがなく、ゲド戦記の記憶が悪い夢をつくったのだと単純に思った。
神様は、大事なところでいつもわたしに正夢を見させてきたのだから、あの夢もそうだと予感をもつべきだった。

9月7日、わたしの初日を見た。雨の下に10分以上寝ていることを強いられ体を冷やしきった竜也の、最初の声。あの声は彼の本来の声ではありません。ショックで、なにも考えられなかった。
舞台の後の夜、夢は見なかった。現実の方がずっと悪夢みたいだったから。
今朝起きてから、ずっと何かをつよく感じていた。蜷川さんへの怒りではなかった。怒ることさえできない、なにも考えられない。しばらくして、ようやくわかった、これは喪失感なのだと。巨大な空洞が自分の中にぽっかりとあいていた。

ニナガワサン、ワタシノタツヤヲ、カエシテ。

昨日の、あんな竜也を見たくない。これから1ヶ月半、彼が毎日あの舞台をするのかと思うと、つらい。考えるのが切なくてつらい。どうしようもない気持ちになる。

いつも子供たちに、「大人の言うことを鵜呑みにするな、だまされないために勉強しているんだ」と言っている。
竜也くん、24歳の役者のあなたにこんなことを言うのは失礼でしょうか。「もう蜷川さんを信じないで」。

あの舞台ではじめて、竜也が舞台の上にいるのに、彼を見続けていない自分がいた。彼から目をそらして、救いを北村くんに求めていた。あの舞台の竜也を思い出したくない。つらくて。声のでない竜也。同じ調子でしゃべり続けることを強いられた竜也。あれは「エネルギッシュな舞台」ではないよ。

あの舞台で、楽しめるファンもたくさんいると思う。蜷川さんのファン、竜也のファン。舞台はたくさんの観客一人一人のものだから。
ただ、わたしにとって、はじめて竜也から目をそらしてしまう舞台だった、ということなのです。
あれを良いと、言えないのです。それがつらいのです。

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