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November 05, 2006

蜷川&ヒラミキ マクベス (ビデオ)

今まで見た蜷川作品(ナマ、映像)のなかで、もっとも蜷川の美学が成功している舞台。素晴らしい。この作品なら「世界の蜷川」になっても不思議はない。「近松」での成功で、彼の表現が一気に駆け上がったのでしょうか。音楽、衣装(ジュサブローさん)、舞台(妹尾河童さん)、照明、そして戯曲(シェークスピア!!)、そのどれもが渾然一体となって見る人を陶酔させる。商業演劇を古典バレエやオペラや歌舞伎と同じ舞台芸術というジャンルに昇華させ得たといっても良いと思う。

成功の最大の理由はキャスティングでしょうか。マクベスを演じるヒラミキも、マクベス夫人を演じる栗原小巻さんも、正真正銘「絵になる役者」です。お二人が舞台上で「絵になっている」その姿を、堪能できました。おふたりでなければ、舞台上で肝心の人間が蜷川演出の強引なほどの画力に埋没してしまったことでしょう。また、逆に言えば、このふたりの絵としての力を存分に発揮させるには、このくらい強い演出が必要ということでもあるのでしょう。二人とも巧い、そして美しい、所作も立ち姿も自在に変わる声も。ほかの舞台ではちょっと鼻につくかもしれない過剰なうまさや絵のような表情が、この舞台では実に映えていました。

さて、ここまで、絶賛しておいて。
蜷川さんの演出はここで行き止まりに到達したのだと思います。この舞台は呪縛になるほど過剰に美しかったのだと思います。
すばらしく美しい、けれど、それだけです。
ヒラミキも小巻さんも絢爛豪華な絵のようで、ナマで見れば百万倍も素晴らしかったのだと思うけれど、映像で見るとどうしても「冷凍食品をレンジでチン」したような距離があって、マクベスとマクベス夫人の普遍的な哀しさを味わうことは出来なかった。絵として美しい蜷川演出は、戯曲の言葉のかげにひっそりと隠れている知性に光を当てることはしない。ヒラミキも小巻さんも、素晴らしい演技だったのだけれど、性格俳優ではありませんから、蜷川演出の効果を倍増する力はありますが、蜷川演出で吹き飛ばされがちなものを補ってはくれない。多分、ふたりとも役者としての外見が整いすぎているのでしょう。

人の中に、特に、普段光を浴びることのない小さき人間のつぶやきの中に、演劇で表現して心を射抜く何かがあると思うのです。それを見つけられなかった。ただただ破格の様式美に圧倒されて。

最後に。
わたしは、この戯曲を、真田さんのマクベス、竜也のマクベス夫人で見たいです。
ヒラミキがマクベスのせりふを言っているときにずっと、失礼ながら、先日見た真田ハムレットを思い出し、彼ならここをきっとこう語る、と思い、小巻さんがマクベス夫人のせりふを言っているときに、竜也が演じる悪魔的なマクベス夫人を想像し、マクベスと夫人の絡まり合うさまを想像して、悶絶(笑!!!)しそうになりました。

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