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February 2007

February 24, 2007

4つの美術展、はしごして。

明日までの開催の美術展を含めて、4つ、はしごしました。
海外旅行に行った時の、「頑張る」ペースです。そう考えれば、日本で頑張ったって良いわけです。日本にも、宝物はたくさんあります。

11:30 原宿 太田記念美術館 北斎「竜虎」

入場までに1時間弱並び。しまった。今年にしては北風が強く、冷えること。明日までの開催であれば、当然予想しておくべきでした。日本画をこの人並みの中で見るのは、それだけですでに、失敗。
でも、「竜虎」はさすがでした。虎はお茶目でかわいく、虎としての志は応挙の虎の方がはるかに上ですが、これは竜と対峙して、はっきりとわかる「男と女」の「女」。
虎を女に見立て竜を男に見立てての対の軸です。
虎は可愛く、竜は深い。二隻の色の違い、明るい虎、暗い竜。広い空間を受ける虎と、画面いっぱいの黒を吐き出す竜。視線が合っているようで、実は合っていない。これはもう、男と女ですよ!やるなぁ、北斎さん。

想像していたのとは違う感銘を受けてから、ほかの展示へ。浮世絵にはまだ入り込めないと思いながら進んでいると、突然たおやかでおおらかな女人の図。鳥居清元。これはこれは。まさしく文楽と同じ色気、同じ線。塗り重ね塗り固める西洋の絵と、線が流れ色が透く日本の絵を、同じ絵とは分類できません。
着物の模様とひだの重なりがつくる心地よいリズム感。記号化された人体のデザイン性。正義がひとつしかない神学にとらわれていたヨーロッパの人間は、この軽やかさと明るさ、それでいて、ゆるみのない把握に驚いたことでしょう。

地下鉄を乗り継いで半蔵門から山種美術館へ。小規模ながら良い日本画のある美術館なのですが、今日は現代著名画家の特別展。絵の展覧会で、初めて、「金返せ」の気分になりました。

少々落ち込んだ気持ちでお堀端を歩くと、冬の蒼天に向かって、コブシの樹。花も葉もない桜の枝。高い薄雲の間に雲と同じ色で白い昼の半月。人間は自然にかなわない。せめてもの美を切り取りたくて、絵にする。
日本の絵はそういう絵だったのだと、思います。
そこに「ヨーロッパモデル」と「アメリカンビジネス」が入り込んで、すっかり退屈な厚塗りになったんじゃないのか。

近代美術館工芸館。「松田権六の世界」
没後10年の、日本の漆作家最高峰、人間国宝だった方の作品展です。
人間国宝は伊達じゃない。半端じゃない。文楽に次いで、また、深く額ずくだけでした。
作品と呼ぶには美しすぎる宝物の品々。漆の黒光り。蒔絵の金の光沢の様々な色調に、見飽きることがありません。こんな光る黒を、世界のほかの人たちは作れたのでしょうか。海辺に残る波の痕のような金のグラデーション。サギの羽根の一片一片の白。棗に降る銀の粉が、下からかざすと七色に散り舞うのです。

最後に、もう1度大観の「生々流転」を見に足を伸ばして、4つの美術館のはしごを終えました。
お疲れさま。目に幸せも、楽じゃないです。生活の中に、あの絵があの漆器があればねぇ。

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February 18, 2007

都路華香展&横山大観「生々流転」

「都路華香展」 国立近代美術館 明治3年生 昭和6年没 京都を代表する近代画家

画家のお名前も知らず、新聞の展覧会紹介の記事についていたモノクロの小さい写真の絵にひかれて、竹橋へ。

日本画をあまり見てこなかったので、若仲も藤田嗣治も、今ごろ知る始末。都路華香さんも、私にとっては初めて知る画家です。文楽や歌舞伎、狂言も同じですが、日本の美意識の世界はすごい。足してゆく美ではなく、引いていって現れる精神性。これは、インドの哲学やギリシアの修辞学、ローマの法意識に匹敵する際立った才能ではないでしょうか。

ですから、絹の上に描かれた微妙な色彩と線をガラス越しに見させないでください。京都国立近代美術館から出展されている作品だけはガラスなしで、その違いが心に痛いほど分かりました。
優れた絵はわたしを向こう側の世界に入れてくれます。ガラスは向こう側へ行く邪魔をします。

日本画や仏像は展覧会場で見るべきものではなく、静謐で調和のとれた空間の中にあってこそ。
広い玄関、高い吹き抜け、艶やかな廊下、低い天井の細工、障子越しの光、ほのかに輝く調度品の金箔、たたみの柔らかい照り返し、灯りのない部屋にすわってのぞく翠の庭。
都路華香さんの絵を見ていると、つぎつぎに絵がいるべき空間が浮かびます。
美しい空間をひきしめる一幅の絵。

「水底遊魚」は水の底から見上げる魚のくねりも美しく、かすかに水の匂いもします。
そして魔法が隠されていました。絵を前にしてしゃがみ、下から魚を見上げたとき。鱗一枚一枚が、白くキラキラと光りはじめるではありませんか。あれは絵の具の魔法なのでしょうか。あの絵の秘密を、私だけが知ってしまいました。キラキラと光る鱗。幸せでした。

「村雨松風」左隻。一面の水面。金の光を浴びて海が発光する夕凪の一瞬。ずっと右奥に離れて見ると、突然、水平線まで一斉にさざ波がゆれるのです。
「浜千鳥」 水面近くを羽ばたいて飛ぶ小さな2羽の鳥。泡立つ波のさわさわする音まで描かれている海の絵を初めて見ました。
「雪中水禽図」 掛け軸の絵で、こんなに色とりどりにかわいらしくきれいな絵は、ないでしょう。鴨の頭の翠、嘴と胴の茶、腹の黄緑、撒き上がり舞い散る雪の粉。そのまま反物にしてしまいたい。

さて、すっかり幸せな心持ちで、心の中で何点もの絵に(お買いあげ~・・・・が、本当に出来たらなぁ)とつぶやきながら、出口をでて併設されていた「横山大観」特設会場へ。

暗い細長い部屋に長い長い陳列ガラスケース。その中に、おー。横山大観の「生々流転」。長さ40メートルの巻きものではないですか。

山奥で生まれた小さな水の流れが、針葉林の山をくぐり里によりそい海へそそぎ、遙か海上で竜になる。素晴らしかった。華香展で(お買いあげ)した作品を全部手放してしまってもこの1点(華香さんごめんね)。

鹿の声は雪に吸い込まれている。木々がしんと屹立する。逆巻く水の響きあい。
里に降りた水はサギの足下に白く明るく広がっている。見つめると、サギが飛び立つ。
浜に漁師の声が沸き、水は海の彼方へ彼方へ、竜の胸へ。素晴らしかった。ひとりでいつまでもいつまでもそこにいたい、のぞき込んでいたい、世界でした。

会場をでて地下鉄に乗って、見てきたばかりの絵を頭の中で反芻して、ふと、自分が「生々流転」の世界に入っていることに気づきました。あまりにも自然にあちらの世界にいて、あちらにいるまま地下鉄に乗っていたのです。

空間を生かす華香の絵。
ほかのなにものにも拠らず、ただ描かれているそのものだけで、あちらの世界へ入ってしまう大観の絵。

日本の美意識は深い精神の世界です。眼福の一日でした。

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ヘドウィグ&アンングリーインチ

一昨年三上博さんで話題を呼んだ作品。
歌が上手い山本耕史くんがヘドウィグ。共演の歌手に中村中さん。
新宿face。プロレス会場にもなるという、ライブにぴったりの会場。

ちゃんと予習してゆけば良かったのですが、歌のつなぎに性転換に失敗した主人公のかたりが入る。演劇とかミュージカルではなく。共演の女性歌手が中村中さんと知らず。歌声も容姿も女性と思いこんでいました。まあ、本人にとっても自分は女性なのですから当たり前ですが。というわけで、お二人の「フィクションの語り」付きライブだったので、私には首尾範囲外でした。

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February 12, 2007

文楽 摂州合邦辻

2007年 2月11日 国立劇場 小劇場 第2部

大歌舞伎から一日おいて文楽。志の輔さんの言葉につられて、ついに文楽まできました。
(能とオペラにまでは行き着いていないので、何とか庶民の範囲でとどまっています。)

人形浄瑠璃=文楽  まずこれをはじめて知りまして、チケットを取ってから、ネットで俄勉強。
何しろ文楽ですから、人間国宝とかがおいでになる世界ですから・・・。古典芸能の極みとも思い・・・。

そんな裃をあっという間に脱がせてくれた人形劇。
そう、人形劇でした。見事に正真正銘人形劇でした。
人形の動きはコミカルだし、おはなしも、あり得ないような起承転結。

義理の母(玉手姫)の子(俊徳丸)への道ならぬ恋、恋の果てに飲ませた毒酒で盲目になる息子、父母にいさめられても開き直り俊徳丸に焦がれる玉手姫、俊徳丸を前にして彼の恋人朝日姫をうち払う鬼気迫る玉手姫、
しかし一転してそれはすべて我が身を犠牲にして、嫁いだ夫の子どもたちを守るための策略だった・・・。
ありえないだろー、じつはやっぱり玉手ちゃんは年の違わぬ美少年をこいこがれて自分だけのものにしたかったんじゃないのかぁ?などと想像がふくらむ。

せりふも語りも、みんなわかった。不思議なほど何の苦もなくわかった。浄瑠璃の難しいかたりを、上方のおじいさん(すみません!人間国宝の竹本住太夫さん・・・82歳・・・・)がひとりで全部の役をやって、それで面白いの一語。文楽新参者が言うのは失礼とおもいながらもほかの言葉はありません・・・あっぱれ。
玉手姫・・・かすかな震えや凛とした面立ち。人形なのに、ではなく、人形だから、人間よりも豊かに感情をほとばしらせる。情緒が清らかに澄んで、人の形から流れ出てゆく。
見る私の想像力の針が最大限にふりきれる心地よさ。

演劇ってさぁ、見る者の想像力を天に向かって離陸させてくれるから、楽しいんだよね!

庶民の娯楽や旦那衆の遊びで始まった世界だろうに、ひとたび芸能になると、すごい。むしろ、あきれてしまいました。
ただの人形劇なのに。ただの面白い楽しい娯楽なのに。何という後味の良い楽しさ。

300年の間に、たくさんの人々と、たぶん何人かの希有な天才とが、それぞれの人生をのめり込ませて出来上がったにちがいない・・・特異な世界でした。

楽しゅうございました。

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二月大歌舞伎 夜の部

2007年 2月 9日

仮名手本忠臣蔵 昼夜通し公演の夜の部 五段目・六段目・七段目 十一段目

1階、席のすぐ前が1等席と2等席を分ける通路。左の通路を隔ててすぐに花道を見るという、最高の2等席。
客席の斜度が少ない歌舞伎座では、中途半端な1等席よりむしろ嬉しい席でした。

今月は、断然夜の部です! 朝日新聞の劇評では昼の最後の道行き(時蔵のお軽、梅玉の勘平)を「近年の収穫」と絶賛していましたが、仁左衛門と玉三郎の兄と妹。私が選ぶのはこちらで決まり。
ふたりの絡みが始まると、客席がぴーんとしまりながらそれでいてつぼみがほころぶように客席のあちらこちらで心が沸き立ってくる気配。華やかな緊張。そんな空気を味わえるまたとない時間です。

吉右衛門の由良之介に3日で明ける身請けの話を約束されるときのお軽のかわいいこと。
お軽がお里に手紙を書く。そこへ知らずに兄平右衛門。ふたりが互いに兄妹と気づくまでのちぐはぐな可笑しさ。一転、兄妹と知って、恋しい夫の消息を聞こうとするお軽、死んだといえない兄。切なくて、しかもなお可愛くて。

やがて兄は由良之介がお軽を殺すつもりだと気づき、それならば自分の手でとお軽に刀を向ける、分からないままお軽は必死に逃れる・・・ふたつの体の身のこなしの軽やかでいてあでやlか、くるくると体を入れ替える様に、忠義を一心に思い詰めた兄と、妹の真っ白い困惑とが、ふたえに舞うように見えます。
夫の死を知ったお軽、死んでくれとたのむ平右衛門。愁嘆場です。しかし、あくまでも、お軽は童女のようにかわいくけなげなのです。匂い立つように美しくたおやかでいて、あどけない。こんな女性はいません。いないから、玉三郎の演じるお軽が、この世のものでないかわいらしさを放つのです。

仁玉の美しさは、人という存在のかわいさ、かわいらしさの中から匂い立つ。こんな美しさは滅多にありません。性別も年齢も超越してしまいます。

この日は、菊五郎さんも吉右衛門さんも上手でした。菊五郎さんのあわれさ、人間らしさ、吉右衛門さんの品の良さも楽しかった。
でも、板の上を別の世界にしてしまうのは、仁玉のお二人。ごちそうさまでした。

追記
志の輔落語で頭の中に焼き付いていた斧定九郎。
花道をたたっと走り、破れカサをくるりと開いてしぶきを散らし、ぐしょりとぬれた前髪をつぅとかきあげる・・・・はずだったのに、みごとに違いました。演出が違っていたのですから、しかたないのでしょうが、でも、体型と年齢を考えると、染五郎あたりにやってほしかったです・・・・。

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February 06, 2007

こまつ座「私は誰でしょう」

2007年2月5日 新宿サザンシアター 井上ひさし書き下ろし 演出栗山民也
 
まずは、演劇らしい演劇で、さすが井上演劇。それなりに楽しかったし、役者も芸達者。
ただ、長かったです。それから、少々退屈してしまいました。
言いたいことは芝居が始まってすぐに分かってしまって、だから、冗長に感じたのは演出や役者のせいではないと思います。戯曲のせいだと思うのです。

野田さんの「ロープ」に重なるようにストレイトなメッセージをもつ演劇が続いて、戦後のある世代の人たちの「焦り」のようなものを感じて、痛かったです。

舞台は戦後すぐの日本放送協会ラジオ「尋ね人」の制作室。
特攻隊の生き残りの組合青年、サイパンの(あり得ない)生き残りで記憶を失った復員兵(実は中野学校出身の元諜報部員)、弟が特効命令を拒否して自決した元アナウンサー、幼い頃育った日本の村の救済を試みる日系二世の将校・・・。登場人物の設定だけで「国家が行う戦争」の傲慢さを訴えるのに十分なのだけれど、十分すぎて、素材がそのまま出されて、見ている私はどうして良いか分からない。
ラジオの力と権力による検閲。それも、知っている。知っていて、だから、それがいったい何??
今の、私たちが生きているヨノナカの「内部から自己検閲させる力」はもっと巧妙で織り込み済みでヒトビトに認知されちゃっている。その認知のされ方の方がよほど恐ろしい。

井上ひさしさん、今なぜこの戯曲なのか、分かりませんでした。
この素材で楽しむのは難しいし、でも歌を聴いていると楽しませたいのかなとも思い・・・、
胸に迫る内面の描写はなかったし、戦争をめぐる「状況」を描いて何かを今の人間に訴えたかったのだとしたら、それに応える人間はもういない。もう、遅すぎると思います。

役者はよかったです。
川平さんは軽妙でいて真摯に、北村君はとぼけた味を前面に、佐々木蔵之介さんはインテリっぽさと不器用さを、大鷹明良さんは戦中戦後の庶民的文化人の風情を、前田亜季さんも明るくかわいらしい下町も娘を、それぞれに楽しく演じていて好感が持てました。

歌は少々無理があったようにも思います。歌声喫茶風ではありました。

けして、金返せの舞台ではありませんでした。
それなりに楽しめたとも思うのですが、いかんせん、正直言って、人間が壊れていっている今の日本の社会にメッセージを発するには、脚本が甘すぎる。人間を信じる視点が緩すぎて、見ていてその甘さに、辛くなりました。
もしもメッセージを発するつもりなら、突き刺さらなくては。じわじわと、あるいは突然に、または苦く。

それとも、牧歌的な戦後の人々を描きたかったのでしょうか。もう失われてしまった、良心の生き様を。

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February 04, 2007

万作の会

2夜続けて勤め帰りの観劇も苦にならない。光を浴びて輝く空間がよほど好きなのだった・・・自分のそんなことにこんな風に気づきます。

2007年1月31日。(今ごろコクーンではロープの楽を迎えていことでしょう。コクーンにいたかったな。2ヶ月の舞台の最後の夜に、立って、拍手をしたかったな)
私は朝日ホールで「万作の会」。3列目。演者の汗の滴りも見える位置です。

舞台の始まる前に萬斎さんによる解説が入りました。
頭の回転の速い賢い人です。姿も良し。諧謔な語り口。板の上の世界のおもしろさを伝えたいという気概も感じます。今日は演目も多く、お正月の締めということで、おめでたいお話が並んでいるとのこと。

素囃子「髪舞」大鼓・小鼓・太鼓・笛
大鼓の音の強く高いこと。山の頂の神さまにも届きそう。笛の音が踊るよう。お見事。

狂言が3題「鍋八撥(なべやっぱち)」目代石田幸雄・羯鼓売り月崎晴夫・鍋売り野村万作
「仏師」すっぱ万之介 田舎者深田博治
「田植え」神主萬斎

市場の一番乗り目指してやってきた鍋売りが、すでに羯鼓売りに先をとられてことを知り、羯鼓売りがうたた寝しているのを良いことに自分が前に座って一番をとろうとする。ずるい鍋売りを羯鼓売りが目代に訴えて勝負に勝ち、鍋売りは自分の鍋を割ってしまう、ずるいもんのあわれな負けを笑うはなし。

月崎晴夫さんの羯鼓売りが熱演。狂言の芸としてはそれでもう充分とも思うのだけど、万作さんは狂言の形を越えた演技者。役者としてすごいです。

舞台に近い席だったので、万作さんの演じる鍋売りの表情がよく見えました。
体全体に表情が現れる。
羯鼓売りが踊りで競うと、それを横目で盗み見ては真似る横着で小ずるい男の可笑しさ。観客は鍋売りを笑う、あげくに鍋売りは見事な羯鼓売りの側転に対抗して鍋を腹に着けたまま横転し鍋を割ってしまう。
観客は大笑い。その瞬間、顔を上げた鍋売りの顔。哀れでかなしくて、一瞬で胸が詰まる。ところがかわいそうと思ったその刹那に、「鍋が増えて目出たい」と鍋の破片を拾って笑うのです。
底辺で生きる者の知恵。自分を笑い人を笑わせ、日々をしのいでゆく。
辛い思いをしている人間にだけ通じるこころです。

お隣の年輩のご夫婦連れ。身につけている服もコートもアクセサリーも良いいものだった、遅れて来て座席でそのコートごそごそ脱いで、ワインのにおいがぷんぷんふりまいてくれて、「台詞だけじゃ何言っているのかわからん」て、アンケート書くのに忙しくて舞台見ていなかったじゃないかぁ~、で、「萬斎は若くて良いわ、(まだ解説でしゃべっただけだよ)、万作は年とってるからだめね、(だからさ、今日の鍋売りは颯爽と側転が出来る役じゃなかったんだけど)、色気がないし、(赤坂のホストバーに行きなって!)」
誰かこのお上品なご夫婦を落語にしてくれ~、むろん、狂言でも可なり。

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