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March 2007

March 25, 2007

蓮絲恋慕曼陀羅

国立劇場40周年記念 歌舞伎脚本入選作 板東玉三郎 演出。

オークションでやっと落としたチケット。
仕事を机上に山と残し、国立劇場へ走る。開演3分前。ロビーでコンビニおにぎりをほおばって。

6列目正面に座る。前の人が邪魔が舞台中央が見づらい。桟敷の感覚でつくっている劇場なのでしょうか。イス席では傾斜やイスの配置に工夫が必要です。劇場をつくるプロ、お願いします!

大道具はなし。淡い色の照明と左右に3枚ずつの大きな引き壁が、場面に変化を付けます。
役者、舞台美術、衣装、どれも整然と清らかで、日本画のよう。
水彩絵の具の淡い緑や水色、ピンクや橙を、薄く合わせたような美しさ。

市川段治郎さん。きれいな役者さんです。玉三郎演じる姉に盲執する弟も、この人がやるとドロドロしない。
しかし、怖さが見えなかった。怖さが際立たないと、哀れさもにじまない。難しいところです。
最後に二役で出てきた蓮介の方が、この人のさわやかさと明るさに合っていて、気持ちがよかった。

右近さんの後妻(継母)ぶり、息子への盲愛ぶりも破綻がなくきれい。

初瀬姫を守り通す乳母の笑三郎さん、姉弟の父に門之助さん、初瀬姫を殺すことの出来ない嘉藤太の猿也さん・・・どなたも、声も若くて体の線もきれいで、役者はこうでなくっちゃ。
カテコで役者さんたちがずらりと並んだところは圧巻でした。これだけ端正な役者がそろって並ぶと、迫力がありますね。

しかし、
この舞台は歌舞伎ではなく、現代演劇でもなく、力のある歌舞伎役者による科白劇でした。
それなのに、肝心の科白が説明の科白。そんなに説明しなくていいのに!

疾走感、躍動感、リズム、テンポが、まったく感じられなかった。
とてもきれいな役者さんたちが、ごく目の前で、物語を進めている。それなのに、寝てしまいました。

歌舞伎には無駄がないと亀治郎さんが言っていました。
この作品は、科白に説明がありすぎました。説明の台詞は、想像力を働かさせない。かえって邪魔です。
その一方で、静物画の美しさを追求する演出は、動きをそぎおとていました。しかし、そのために、エンターテイメントに不可欠な動きの驚きがなくなってしまった。無駄な動きをさせないのではなく、必要な動きが現れなかった。だから、残酷な言い方ですが、どのシーンも退屈になっていました。あれほど美しい役者さんたちの、美しい芝居だったのに。

きれいな舞台だったのに、入り込めなかった。残念です。

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March 19, 2007

阿国

2007年 3月18日(日)12:30開演 新橋演舞場

昨日の日生劇場トミーに続いて2日連続のミュージカルはどうかな。

昨日に比べてかなり高い年齢層。親子連れ、ご夫婦連れも多いため、客席には珍しく男性客が目立つ。

舞台は両側が太い柱で挟まれた2階建て。両側の柱の横、中2階ににバンド。これは、ミュージカルではよく見る構造。
舞台上に、演者が歩いている。蜷川さんの天保の雰囲気。

照明が入る。舞台上の3人の語り合い。このへんも蜷川さんでよく見る風情。私はこういうの、好きです。

歌が始まる。

上々颱風の明るい音が劇場にわぁっと広がる。

お~。これはもう、阿国の勝ちが決まりました。

ボーカルの女性のハーモニーも、サンシンの音も、バックのバンドの音もキレイ。
(なぜこれが、昨日の日生劇場で出来なかった? トミーの方がよほど音を大切にしたい演出だったろうに)

若松武志さん、木の実ナナさん。芸達者なのに、サシスセソの音が耳障り。台詞がマイクを通してる。トミーなら我慢できたけれど・・・・。役者の生の声が聞けない?ミュージカルは、生の声を聞けないのか。
ところが、上条さんが登場したら、台詞も歌も、素晴らしい声なのです。

ナナさんは、声量が出なくてそれをマイクで拾ってぎりぎりに上手に調整していました。でも、どんなに巧く調整しても、マイクでぎりぎりまで拡大して聞かせている声には、最後まで違和感がありました。
ただし、その大きなマイナスを補って余りあるナナさんの存在感、芝居っ気、見栄のキレ。
役者は声量が落ちてもまだ勝負できる、発声、声の色気で補えるのか・・、感心しました。

ピーターも悪くなかったです。きれいな男をきれいに見せてくれて。
仁左衛門や竜也のような存在としての美しさではなく、造形としての美しさ。演劇にはそれも必要です。

舞台を引っ張っていたのは、上々颱風の音と上条さん、ナナさんと若松さんの芝居っ気。

さらに素敵だったのは、役者の演技を引き立てることに徹した真正直な舞台美術と演出でした。
帰ってチラシで確認しました。河童さんと栗山さんでした。やっぱり・・・ね。
観客が安心して楽しめる、誠実できれいな仕事です。役者の間、笑いの取り方、聞かせどころ。こういうオーソドックスなまっとうな仕事が好きになりました。妙な自己顕示欲で役者の演技をつぶす演出には、もう、飽きました。

楽しい芝居を、楽しく、楽しめました。
休憩30分を入れて3時間半。前半笑いをとる場面などで冗長なところもありましたが、退屈しなかったし、苦痛もなかった。カテコで、年齢層の高い正直な観客が、心底楽しそうに拍手していました。(昨日のカテコの「どん欲さ」との違いを感じました。)

カネカエセあり、まっとうな満足あり。舞台は奥が深いです。

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March 18, 2007

いのうえさんのトミー

1年前に、厚生年金でブロードウェイからの来日版を見た。
会場のしょぼさと、客層のミスマッチと、お話の荒唐無稽さに「駄目だこりゃ」だったが、歌と曲と演奏と歌い手はとても良かった。「see me feel me touch me hear me」は、音楽や歌詞を覚えられない私がリピート出来るほどのシンプルな名曲だと思う。

そして1年後のトミー。作品の元となっているアルバムを愛する新感線のいのうえさんが、満を持して演出、と聞けば、期待します。中川くんの歌唱力にも定評があるし。

結論から言えば、物語の展開を映像に頼った演出は絵柄からしてディズニーランド。つられて、ダンスもディズニーランド。
衣装は50~70年代のアメリカンライフを象徴したのか、趣味の悪い大味テイスト。
肝心の演奏、歌唱は・・・・ミキシング・音響の悪さでうるささしか感じない。悲しい。中川君の声の高さが生かされるミキシングができなかった。
そして・・・なんで和訳しちゃったのかなあ・・・というため息。日本人が英語で歌う違和感をとるか、英語が載っていた音楽に日本語の台詞をのせる違和感をとるか・・・。難しいのは分かる。結局、新感線や宝塚やジャニーズ系がやっているように、歌も含めたオリジナルミュージカルをつくるのが気持ちいいのか。日本には素敵な歌がたくさんあるのだから。

音楽が感動を呼ばなかったものの、皮肉にも、物語の奥行きは感じ取れた。トミーは暴力と個人主義で荒廃したアメリカ社会によって傷ついた心そのものだし、それをシューアップする興行界や宗教原理派にはしる大衆の乱暴な力、最後はともに前を向いて救われてゆこうというアメリカの楽天主義。去年の本場の作品よりもよほどメッセージとしてはわかった。が、だけどそれが今さら何かなぁ?

去年は、音楽に感動しつつ、舞台としてはしょぼくて悲しかった。
今年は、作品の中に流れる気持ちはわかったけれど、歌にも音楽にもダンスにも魅入るところがなかった。

舞台中、観客席は静かだった。ラストシーンでも拍手がなんだか小さくて、私が少数派ではなかったなと感じた。しかし、カテコは3回。3回目には立っている人も多かった。感動の渦という雰囲気よりも視聴者参加イベントみたいなスタンディング風景だった。

期待があっただけに、残念だった。
楽しみ方はいろいろだから、3回のカテコはそれはそれで良いけれど、観客に育てる力がないと、ぬるいままOKになってしまう。
本気で舞台をやってゆきたい人間には、むしろ今のカテコバブルはマイナスなのではないだろうか。


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March 06, 2007

三月大歌舞伎

義経千本桜 通し狂言 夜の部

今月の(夜の部)は、仁左衛門さんの、権太の男っぷりだけでした。
ゴメンナサイ。

けれんを見せるこの演目(小金吾討死。狐。)には、ジャニーズ系の若さと派手な仕掛けが本来の姿のように思います。むしろサーカスに徹するスーパー歌舞伎が正しいと感じました。

今日の客席はことさらに年齢層が高いように見えましたが、お客さんたち、楽しんだのかなあ。なんか、シルバー歌舞伎っていう感じだった。とほほ。

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March 04, 2007

心にナイフをしのばせて

「心にナイフをしのばせて」 奥野修司 

1969年 4月 神奈川県の私立高校で15歳の高校1年生の少年が同級生を殺害した事件が起きた。絶命したあとも刺し続けて合計47カ所の外傷。その後、首を切断し遺棄。犯人の高校生は、自分自身を刺して見知らぬ男たちに自分も襲われたと主張、その後目撃者の証言で虚偽と分かると一転して、殺した同級生の自分への「いじめ」を主張。一貫して自己を正当化し続けた。友人を殺した時から今日まで、殺した友人の残された家族への謝罪の言葉なし。

28年後の1997年におきた「酒鬼薔薇」事件を契機に、フリージャーナリストの著者が、事件で殺害された少年の母親と妹への取材を始め、10年間をかけてまとめた作品。殺害された少年の妹さんの独白という形を取る。

30年間。時間は、家族を殺された人たちの心を癒さない。
「時間が解決してくれる」というのは、社会の言い分でしかない。
殺された人の家族も「被害者」である。「被害者の家族」とくくるべきではない。「家族を殺された」という大きな犯罪の被害者である。

取り返しのつかない恐ろしい出来事のために人生に大きな傷を負った被害者に、ゆっくりと時間をかけて寄り添って、被害を受けた者の30年たっても消えることのない思いを書き留めた著者に、敬意を表したいと思います。

殺害された少年の母。父。妹。
一途で一心で、事件を思い出すことから逃げ続ける、ガラス細工のようにもろい母。彼女は犯人への憎しみを表出しえない。
息子を失い、妻を支え、家族の前で弱音も泣く声も漏らさず毅然として生き続けた父。犯人を、もしかしたら誰よりも強く憎みたかったであろうに、「犯人を憎む自分」を望まなかった。
そして、兄と同時に、暖かい家庭の笑いも、平穏な時間も失った妹。ちょうど私と同じ年の女性。この人の、人生を貫く冷静な(感情を断ち切った)視線に、圧倒される。

もちろん、この本を商業ベースで「売れる本」にしているのは、取材の最後に明らかになった驚愕の事実なのだけれど。人を殺した人間がひとことの反省もなく謝罪もなく生きて、現在弁護士として人生の成功を味わっているという事実。

けれども、著者はそのことを大声で言い立てる下品さをもたなかった。「下劣な犯人の社会的な成功」を大声で言い立てることで、人ごとでしかない人間たちの嫉妬をあおって扇情しても、何にもならない。むしろ、ゆっくりと声を聞き続けた母親と妹の心をさらに踏みにじることにしかならないだろう。

だから、この本を、人間を知る本のひとつとして記憶しておきたいと思う。

こういうルポタージュを書くライターがいるのだと知ると、勇気づけられます。

人を殺すという、もっとも恐ろしいことを、人間が平然とおこない、その行為を正当化し続ける。
いえ、それが「自分にとって正しい」ことだから、平然と殺し、社会的に不正と糾弾される要素を隠し続ける。
それは、戦争を正当化する人々に等しいに過ぎない。つまり、とてもありふれたことだ。
そのとき、家族を殺された被害者は、
被害を受け続けて生きる。犯罪はおわっていない。おわっていない犯罪の中で、生き続けている人生。

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