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April 2007

April 15, 2007

続 コンフィダント・絆

作品が面白いと、見終わってからも、思いが広がります。

この舞台にひとつだけ注文を付けるとすれば、俳優の年齢です。

作品の主人公は世に出る前の画家たち、20~30歳台はじめといったところでしょうか。
今回の舞台の役者はおもに40歳代で、大人の作品として、とても良かったけれど、
できれば別バージョン「実年齢版」を見たい。
若さゆえの火花散る作品になって、今回とは全く趣をかえることでしょう。
しかし、
三谷さんがキャスティングすると、慎吾くんはじめジャニーズの面々が入ってくるのでしょうね。う~ん。

私としては、ゴッホ竜也、シェフネッケル橋じゅん、スーラ堺くん、ゴーギャン北村くんあたりでどきどきしたいけど・・・。駄目ですかね?

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コンフィダント・絆

2007年 4月12日 パルコ劇場 三谷幸喜脚本・演出「コンフィデント・絆」 
当然のことながらチケット激戦。オークションで入手。

楽しかった! 
「竜也」がお休みで、「古典」の森に分け入って行く楽しみに目覚め、その分自分の中で「現代もの」の比重が薄まっていたのだけれど、
ひさびさに、「ジャンル-現代」の舞台を楽しんだ。

古典の芸の緊迫とは違う、現代物のアンサンブルの楽しさ、脚本の世界を役者が演じてつくる遊びの空間。登場人物と一緒にいる感じ。そうそう、これだった。これが楽しいんだった。生の舞台に高いチケット代を払う価値はここにあったよね。

売れっ子の三谷幸喜さん、彼の作品には土の匂いがない。血の痛みもない。それでいて、都会的でおしゃれな作劇というのともちがう。軽くて笑えるのに痛い感じ。

誰でも、自分でコントロールできない何かを内側に持ちながら、生きている。
その、自分でコントロールできない何か、それを描くと、演劇はぐっと面白くなる。だから、自分ではどうしようもない土着性や家族のつながりを描く名作は数多い。
三谷さんの場合は、土や血ではなく、「性分」を描く。いつも、性分が絡み合う群像劇が抜群にうまい。
持って生まれたどうしようもない性分。自分だけが全然気づいていないで喜劇にもなるし、とらわれすぎて悲劇ともなる。そのどうしようもなさ加減、そこが三谷さんの作品の一番面白いところだ。

今回の作品のサビは、自分だけが気づいていなかった「才能のなさ」を、シェフネッケルが、天才(ゴッホ)に言葉で言われてしまう瞬間なのだけれど、それまで喜劇だったシェフネッケルの存在がその瞬間に悲劇になる、きゅんとなるくらい良いシーンだった。
しかも、一瞬悲劇に落としながら、実は、別のことを伝えている。

シェフネッケルは絵の天分はなかったけれど、別の天分があった、彼は別の部分で天才だった。
彼だけが、人は自己表現で生きているだけでなく、つながり(絆)のなかで生きていることを知っていた。
人は絆をつくりながら生きている。シェフネッケルには絆をつくる天性の才能があった。画家としては才がなかったにしても。
ゴッホは逆だった。ゴッホは絵では天才だったが、絆をつくる才能はゼロだった。そのふたりの、人生の、どうしようもなさ。

演技陣は、みな良かった。
スーラ。本質は優越感も嫉妬も自覚する嫌なやつなのに、中井さんのスーラには生まれの良さがにじみでていた。だから、誰もが、安心してスーラを自分と重ねて見ることが出来た。
ゴーギャン。粗暴で野生で天然で、でも、人間も絵も見抜いてしまう。ゴッホの才能に嫉妬しながらゴッホのもろさを受け入れる、弱さと強さをあわせもつ。こんな友達がほしい。寺脇くん、好演でした。
ゴッホ。生瀬勝久さんは、うまい。下手すると鼻持ちならない難しいやくどころを、かわいげのあるやつにまとめたのは、生瀬さんのお手柄だと思う。
シェフネッケルの相島さん、彼の持つ表現のはばのひろさの中からから、ずばりピンポイントで演じていた。彼はただのお人好しではない。実はゴッホの対極にいる陰の主役。その存在感をずっと発していたから、最後のシーンに持っていけたのだとおもう。

楽しかったので、もう1回みにいきたいと思うけれど、チケット完売。やれやれ。

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April 09, 2007

翁おきな・三番叟さんばそう

世田谷パブリックシアター 開場10周年記念

世パブの空間には狂言舞台のしつらえが美しく映える。灯りを受け檜の四角。左右と奥にのびる三本の橋掛かり。前後にふたつ高く浮かぶしめ縄。わたしはここに、空間を見に来たのだ。

辞儀を正す。畳まれた体の辞儀の中に、音がすいこまれてゆく。観客席のあちこちで聞こえていた咳やしわぶきの音が消えた。音とともに、観客席も消えた。

笛のね。鼓のおと。真ん中に千歳(梅若紀長)が舞う。音が舞に集まり散ってゆく。神が来る。舞がつくる渦の中に、神が来る。これが、舞だったのか。

三番叟。深緑の装束の万作。
わたしは足袋に覆われて動く足ばかりをみていた。万作さんの足が床の上を滑ってゆく残像で、磨き上げた檜のなめらかさが自分の中の感触になる。足袋の残像で檜がかがやく。それがあまりにも美しくて、足ばかりを見ていた。ふいに、片方の足が装束の中に消える。体がすっと上に昇る。一本の足はつっと立つ。微動もしない。
笛のねと鼓のおと。肩が大きき開く。神が来る!

オペラ座でやるなら、これだったよ。日本人の美の究極は空間です。西洋や中国が足してゆく満たしてゆ芸術や芸能や富であるなら、この土地にだけは、引いてゆき削っていってつくられる清冽。美が凝縮する一点。この地に住まう神がそれを好まれるのだと思う。

舞台という言葉は、このためにあったのか。

ブラボーと叫びたいわたしは、しかし、息をのんだまま、舞台から消えてゆく演者たちに小さい拍手をおくっていた。
拍手は人に送るもので、神に対してするものではない。舞に拍手は似合わない。そんなふうにも感じて。でも、芸術家としての万作さんにスタンディングオベーションをしたいとも思いながら。

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April 07, 2007

ハゲタカ

最終回の録画を見て、また泣いてしまいました。

全6回。
これほど毎回泣いて、見終わったあと、気持ちの良いカタルシスをかんじられたTVドラマは久しぶりだったよ。

まず最初に絶賛したい、音楽と演出、カメラ、照明が、かっこよかった。カッコいい仕事だった。
原作の良さを、台詞に最大限生かした脚本も良かったな。

そういう舞台装置の完璧な仕事ぶりがあって、役者が生きる。快感。

大森南朋さん、初めて見ました。
ハゲタカと呼ばれるスーツと眼鏡の表情と、町工場で床に落ちた部品を拾って笑う若者と、その表情のふり幅の広さが素晴らしかった。(竜也には、このふり幅の広さがたりないのかもしれない) 
見ている者の感情を大きく揺らしてくれた。
柴田恭兵さん、久しぶりの彼は病み上がりの疲労感を感じさせたけれど、それがこの役にとてもフィットしていたし、ただのいい人ではない「日本の社会で生き残ってほしいのはこういう人なの!」と叫びたくなってしまうやさしさの奥行きがあったよね。
カネを転がす今の時代の若いやつの空っぽな哀しさが、そのまま伝わった松田龍平君の無愛想。
田中泯さんのスジが立った職人、中尾彬さん得意の悪役銀行屋、時代を超えるカリスマ経営者の菅原分太さんのドス、どの役の人も素敵に存在感があった。

役者たちの台詞はかなり聞き取りにくいしゃべり方でした。でも、このドラマでは気にならなかった。人物が明確にしゃべることが前提の物語ではなかったから。
この国の今の時代では、こんなふうに、そっとマトモなことをしてゆくしかない。マトモなことは、そっと、陰で、ぼそぼそとするしか生き延びられない。

メッセージをそうんなふうに受け取りました。
良いドラマだった。制作者の方々に感謝したいです。

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