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August 04, 2007

キャラメルボックス  カレッジオブウィンド

2007年 7月 16日 菊&亀のシェークスピア歌舞伎に続いての観劇。

お話も良くできていて、お約束の涙がたくさん出て、面白かったです。成井さんの作劇も上手。幽霊が生きてる人間と同じ存在感で動き回るのは、現代の演劇にちょくちょく出てくる設定で違和感はなく、涙や感動も生まれる。主役の女の子の新鮮さも、気持ちよい。

ただ、銀座で志の輔を聴き、東銀座でシェークスピアと歌舞伎を味わった直後だったので、何か強い質の違いにとまどう。何なんだろう。この違いは。キャラメルの芝居の成否とは別の、「違い」ばかりが気になり。(キャラメルと古典を続けてみたのが悪かったかな。)

気になったあげくに、はたと、キャラメルと志の輔や歌舞伎は全く違うものなのだと、気づきました。

形は、歌舞伎とキャラメルは同じなのです。板の上で人間が芝居を演じる。形が同じだから、間違ってしまった。自分の中で両者を同じジャンルに入れていた。
全く違います。別のものを同じと間違えて、勝手に違和感を感じてしまった。それはいけないよ。
反省。

キャラメルはお約束のシチュエーションのなかで、人が仲間とつどって感動を盛り上げるエンターテイメント。観客は楽しませてもらうためにそこにいる。同じジャンルの新感線は、お約束の楽しみをプロフェッショナリズムで追求している。エンターテイメント=消費する娯楽や癒しや和みや楽しさ=を、様々な手段でとことん追求してくれている。
キャラメルの良さは、エンターテイメントを一生懸命なアマチュアリズムで包んでいること。そこが、キャラメルの良さです。劇場に充満するあの「仲間うち感」は、まさにキャラメルがつくってきた貴重な財産でしょう。ほどよいなごみと笑いと涙で喫茶店でのおしゃべりのようなぬくもりを感じる時間。

一方、落語や歌舞伎も狂言も、エンターテイメントに分類されるジャンルではあるのだけれど、娯楽の提供を越えて別のことを追求する世界になってしまった。
なぜなら、何世代か続く時間の経過の中で、「芸を極める」という目的が生まれてしまったから。
何人かの天才が現れては、神に会い、神に会えることを知って、さらに神に会いたくなり、その結果、「神に会う」は「芸を極める」という言葉で次の世代に伝わっていった。

演じ手が芸を極め、極めた芸に神が降り立つ。幸福な観客はその瞬間に立ち会える。

そして、自身に神が降り立つことを経験できないまでも、その瞬間に一度立ち会ってしまった幸福な観客。彼らも、神の虜になってしまうのかもしれない。

世界が生まれ立つ瞬間。永遠を感じる瞬間。
ゴッホ、ラトゥール、松田権六。万作、熊哲、竜也。彼らは方法は違っても、同じところへ行く。絵画であろうがバレエであろうが、表現方法に関わりなくすべて、同じ。彼らの技(芸)を使って、神に会いに行く。神が降り立つ地点をつくる。
芸術の神が降り立つ一点。

一度でも、それを知ってしまった観客もまた、神に会いたくて、さまようのです。

その世界に、今度はいつ行けるのだろう。どこに行けばよいのだろう。と。


神さまに会うために新感線やキャラメルを見に行っちゃいけない。それは、間違っている。
間違ったことをしてしまったために、違和感ばかりを感じてしまったと、反省しました。

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Comments

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