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August 04, 2007

お気に召すまま

2007 7月23日 コクーン 蜷川幸雄演出 主演ロザリンド成宮寛貴 オーランドー小栗旬 チケット高騰の舞台です。

3列目右サイド 舞台に近い席で見ました。同じ位置の席がヤフーオークションで2万円になっていました。まめな人なら差額でもうけるチャンスでした。

シェークスピア作品は本来全員男性で演じ、喜劇は祝宴の余興的な要素も強く、
蜷川さんは、作品本来のその味をそのまま現代に持ってきて、役者の集客力で興行的に成功させました。

大きな木を舞台左右に渡すセッティング。遠近感を利用して森の奥行きをつくる斜めの床。
そこに立つのが、成宮くんの「男が演じる女」と小栗くんの「(かっこいい+恋に悩む)青年」。

重要なのは男と女を男が演じる設定、舞台装置と違和感ワールドですから、そこに、芝居のすじだて、せりふ、心の機微が調味料として適度に加減されて振りまかれていればよろしいのです。

「今夜の私たちのお芝居を楽しんでいただけましたでしょうか」成宮ロザリンドの「愛らしい」笑顔の挨拶が、
この芝居のエッセンスをそのまま表していました。多くの観客が、シェークスピア喜劇の入れ替わり混乱テイストを、成宮くんと小栗くんで楽しんだのではないでしょうか。

たまたま同じ舞台表現という手段であっても、
しかも、同じ作者の同じ設定の相似形のような作品、同じ演出家、

それでも、
演じ手が目指すものが違うと、ここまで違う。
それをまざまざと知ることができました。
成宮小栗両くん(蜷川作品)のお気に召すままと、菊之助(歌舞伎世界)の十二夜。

娯楽エンターテイメントか、人間を表現する一個の作品なのか、
時間とお金を楽しく消費するのか、世界が生まれる瞬間に立ち会うのか、

いつも、最後はシェークスピアの怖さと凄さに、行き着いてしまいます。
彼の作品には何層にも仕掛けがあって、その、どこの層までゆくのか。ゆけるのか。読み手の好みと力量のまま。まさに、読み手の「お気に召すまま」にお好きなようにどうぞ、とシェークスピアは言っているようです。

だから、演出家や演じ手の、「人間をどこまで理解しようとしているのか」が、そもまま露出される。

気楽な楽しさを望むものには手軽な楽しさを、
深い人間洞察を望むものには深い感動を、

シェークスピアだけがそうなのではなく、芸能とはそういうものなのでしょうか。シェークスピアの作品は、芸能の持つおもしろさと凄みを併せ持つ、ということなのでしょうか。怖い作家です。

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Comments

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Posted by: best dating sites | December 19, 2014 at 12:59 PM

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