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October 2007

October 28, 2007

鶴瓶 らくだ

2007年 10月28日 歌舞伎座

大銀座落語祭で配られたちらしを見て、勢いでとった、TVでおなじみの鶴瓶さんの大ネタ。勢いをつけるだけの力が、大銀座落語祭(ザニュースペーパー・上方三師匠・志の輔さん)の演目にはありましたもの。古典の大ネタ、聞いてみたかったし。しかし、冷静さがたりなかった。
チケットが届きました。8000円の1等席が、歌舞伎座3階の4列目。目を疑ったです。
大歌舞伎だってこの席は4200円です。落語ですよ。志の輔さんのパルコ寄席だって、5500円です。
勘違いしているチケットの価格設定。はぁ。どんな劇場を選ぶか、チケット代をいくらにするか、そんなことにも、舞台や作品への、自分の芸への、思いが現れると思います。う・・・ん。

不思議な感じの客席でした。鶴瓶さんの幅広い年齢層への人気を語る老若男女さまざまが、「落語を聴きに来た」のではなくて、「鶴瓶を見に来た」感じの、雑然とした軽さ。あまり落語聴いたことないような、少なくとも緊張感のまったくないロビー。

たったままのしゃべりはTVのひょうきんそのまま。満席のお客さんを驚かせ楽しませる大仕掛けの「さよなら鶴瓶さん」の葬式の祭壇。お客さんは多少居心地の悪さも含みながらよく笑い。最初の私落語「青木先生」「母と息子の5勝5敗1ノーゲーム」は面白かったです。自分の話をそのままネタに出来る、もって生まれたお笑いの才能で満座の観客も楽しんで。
これは、ひょっとしたら、拾いものだったかも、と思って始まった本編「らくだ」でした。

噺が終わって最後に、ご本人が「もっと芸を磨いてまたやりたい」ということを言っていましたが、ぜひそうしてください。今回は、長い間きちんと高座で鍛えてこなかったツケが大きかったように思います。マイクに向かってばかりしゃべっていると、言葉の明瞭さが鍛えられないのでしょうか。帰りしな、関西言葉だから聞き取りにくかったのかしら、と、後ろを歩くご婦人が連れに言っていましたが、違うと思います。7月に銀座で聴いたざこば師匠も南光師匠も、今日の鶴瓶さんよりずっとこなれた上方の言葉で、一言も分からないところはありませんでした。今日の鶴瓶さん、カツゼツが悪すぎて、一番大事な啖呵がほとんど聞き取れなかったです。

らくだ、もっと面白くて怖い噺なのだと思うのです。死人のカンカン踊りは怖いけど面白い。面白くて怖い。小心、真面目、臆病、けち、強面、虚勢、間抜け、そんな人間の姿をかき回して面白がらせる噺だと思うのです。

会場で配られた今日の演目のちらしに、「むずかしい大ネタ」だとありました。観客を飽かさず聴かせただけでも合格点なのでしょう。だけど、演じ手の力量の足りないところをショー的な演出で補ってるのが、かえって過保護で寂しかったです。ちらしに、演出にTV界の奇才を起用した2時間の大エンターテイメントとありました。確かにその通りの楽しめる仕上がりでした。でも、TVのシューの公開録画と知っていたら、8000円のチケットは買わなかったな。

 

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October 21, 2007

万作を見る幸せ

2007年 10月21日 万作を見る会 国立能楽堂

能楽堂の閉ざされた空間に、床や壁天井にしつらえた木の反響。人間の声が、染み渡りながら、静寂の中で、ふるえる音を潜ませて、幅と深さを持つ幸せ。国立能楽堂の反響は、衣擦れの音までも美しい。

万作さんの今回の企画は能の姥捨を狂言から見せるというもの。
凄絶な姥捨の語りの部分を間狂言が受け持っているという。万作さんは盲目の母が嫁と息子とに捨てられるさまを、一言の感情の言葉もなく、語る。四角い能舞台にただ一人すわり、舞も謡いも音曲もなく、ひとり床に居て語る声。声が、人の体を楽器にして、能楽堂の広さいっぱいに、伸び、切り、聴く者の心を裂いてゆくのです。声が美しいのではなく、語られることばが美しく浸みる。何の演出もない能舞台の板の上で、ただ語られる老女の捨てられたさま、照らす月。

そのあとの姥捨の舞と謡いは、半覚醒の意識は夢うつつで、これが下手な舞台だったら「寝ちゃったよ」なのですが、キースのまどろみと同じ、意味は分からなくても心地よい。

狂言は「昆布売り」「鐘のね」「千本木」

「昆布売り」は大名を石田幸雄さん、若い昆布売りを万作さんのお孫さん遼太くん。遼太くんは昨年よりさらに若々しい可愛らしい狂言を見せてくれました。
「千本木」の萬斎、演劇人としての面白みが引き立つ役でした。

万作さんは「鐘の音」
楽しかった。
主人に「黄金の値」を聞いてこいと命じられた太郎冠者が、都の鎌倉で真面目に聞くのはお寺の鐘の音。
言葉の取り違えの他愛ない話で、とくに見せ場があるわけでもない。
それなのに、太郎冠者が、この鐘の音はふつう、これは薄い、何じゃこれはわれ鐘じゃ、そしてさすがに天下の建長寺の鐘の音は極まる、と鐘の音をごぉぉん、ぽぉーん、ぐわじゃん、おおぉぉんん、と、聞かせてくれるだけなのですが、
笑いながらこころがあったまる、そうしながら、建長寺の鐘の音をもう一度聞きたくなる、聞きたくなる観客の心まで知っていて、太郎冠者はもう一度聞きたいと言って聞かせてくれる。
万作さんの一人芝居なのですが、これだけ自然な心根を舞台の上で見せてくれるには、どれだけ深い芸の精進があってのことか、先日の仁玉でも感じた観客の幸福。

狂言の楽しさと、天才の芸に会う幸せと。今日も、楽しゅうございました。

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October 20, 2007

松尾スズキのキャバレー

青山劇場 松尾スズキ台本演出。

ナチスが台頭してくるドイツ、1920年代の自由が最後に生き残ったキャバレーで、アメリカ人貧乏作家のクリフと踊り子の恋、下宿屋の未亡人とユダヤ系中年男の恋、そのふたつがともに生まれ壊れてゆく様を描くミュージカルです。

大きい青山劇場で立ち見まで出る満員の客席。その客席に終始笑いがおきて、最後は役者のカテコのあとに松尾スズキ本人のキャバレー芸のおまけつき。周囲のお客さんも大喜び。おまけのほうが、見たかった、見せたかった、芸だったのかな。

森山未来くんは良い雰囲気を感じさせる役者になっていたし、安部サダヲちゃんは、お笑い系可愛さ満点。

松尾台本演出は、随所に笑いを仕掛けてお話を滑らせてゆく。科白のように歌をこなし、踊りで場面に刺激を与える。安倍サダヲが司会者になってお客さんを上手にいじり、むしろ手堅さを感じさせる段取り。

つまり、ディズニーランド+TVバライティー番組中のミニドラマの公開録画みたいでした。だから、あんなにお客さんが入り、あんなにお客さんが喜んでいたのでしょう。満場の観客、みな楽しそうでした。

ただ、あれは、「舞台=神さまが降り立つところ」ではありませんでした。

タレントがマイクをつけて楽屋落ちのネタをしゃべる。大きな空間に生の声がまったくない、その消化不良感がつらかった。あの空間にマイクを通してしゃべると、人間の声が矮小に聞こえる。音楽のコンサートではマイクを通した声で空間を圧倒するけど、歌が本職でない人には、あの入れ物は大きすぎた。小気味の良い科白、笑いをとる間合い、ひっかける段取りはTVサイズ映像の才能として大したものです。
でも、舞台を使っているので勘違いしてしまったけれど、舞台とはまったく違うジャンルでした。

3年前に国際フォーラムでキャバレーが上演されたとき、ミュージカルってなんておしゃれなんだろうと思った。同性愛者やユダヤ人や不健全とレッテルを貼られた人々が「政治」の仮面を被った「ふつうの人たち」に押しつぶされてゆくさまをじっと見つめるMCの、妖しい光のなかの目に釘付けになった。作品中の歌に、MCの心の叫びに、涙がぼろぼろ出た。舞台って強い力を持っていると思った。
不思議だよね。同じ脚本同じ歌同じダンスシーンで。お話の進行上必要な悲劇や不幸のうえにみんなが笑えるくすぐりの調味料をかけて歌と踊りをまんべんなくトッピングして。訴えはない。強い思いもない。守るべき弱者もいない。あるのは「笑わせたい」「笑いたい」その人たちの望みだけ。今の日本の社会がこうなのかな。
同じ青山劇場で、ミュージカルの幸せを味わった先月のラマンチャ。あれが舞台界。今日のはテレビ界。

客席にいて、「場違いでした」の思いのみ。
わたしの言葉で語る分野ではなかった。仕方ない。目的とする到達点が違った。(こういうのをお門違いというのだろうな)。でも、未来くんとサダヲちゃんを見たかった。彼らを確認できてよかったです。

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歌舞伎の幸せ  十月大歌舞伎

今年の舞台の神さまは、歌舞伎狂言文楽落語、古典の板の上においででしたか。

2007年10月18日、歌舞伎座 夜の部 一部 怪談牡丹灯籠 二部 奴道成寺

2月の仁左衛門&玉三郎の「兄妹」を見て以来、お二人が絡むものは見逃してはならないと心に決めていました。20年遅いよと言われようとも、今もなお、他の追随を許していないおふたりではありませんか。演目も分からないまま十月のチケットを取ってみれば、夏に本多劇場で聞いた志の輔師匠の噺が予習だったとは。これも円朝さんならではの、人の世の縁なのでしょう。楽しいことです。

一目惚れした男を恋いこがれる余り死んでしまった娘と娘に仕える姥が、幽霊になって恋しい男のもとに通ってくる。その老若の幽霊の足元を灯すのが牡丹灯籠です。落語では二人の鳴らす下駄の音が有名です。下駄の音にしても足元を灯す灯りにしても、この幽霊には足があり、無いはずの足元を照らす灯りが要る。
幽霊だけれど、生きている人と変わらない。
堅い心があり弱い体がある。それは生きている人間以上かもしれない。
これだけで、すでにこの話はものすごく魅力的です。

生きている男新三郎は、恋しい娘が現れてひととき喜ぶのですが、実は幽霊だと知って恐ろしくなる。娘が自分のもとに入ってこられないようにお札を張り、お守りの観音如来を身につける。
これって、ずいぶんと冷たい男ではありませんか。せめて、成仏するように供養するとか出来ないのか。焦がれて死んだお露が哀れではないのか。二人であの世で暮らしても良いじゃないか。我が身だけが大事なのか。ええぃっ、こんな男、取り憑いて殺してしまえ。
死んだ娘の哀れさと生きている男の薄情が、お露と新三郎の最後の濡れ場をぞっとするほど美しく見せるのです。20年前の初演ではこの二人も玉三郎&仁左衛門で演じたそうです。あぁ、、、、、それを見たかった。

七之助のお露は立っている姿は幽霊らしくキレイでもあるのですが、お人形の域を出ず。恋い焦がれる心が見えない。
愛之助さんは今回初めて見せていただき、かなり期待していたのですが、姿形はキレイだけれど、それだけだった。生きてる人間の狡さ哀れさを隠し持って欲しかったなぁ。
この二人で場をさらうことも出来たはずの役どころだったと思うのに、「仁玉の前座」の存在感でしかなかった。残念。
でも、作劇としては、面白かった。部屋に灯されるあんどんの明かりを模した照明、幽霊二人の着物の裾が闇の中で消えている様子、客席を舞う牡丹灯籠、どれも楽しい趣向です。(攻撃的な現代劇の演出にはほとほと疲れてしまった今日この頃)

幽霊の頼みをカネで受けて、新三郎のお札をはがし観音如来を奪ってしまうのが、今夜の主人公、仁左衛門さんの伴蔵とその妻玉三郎演じるお峰夫婦。お峰が出てきて、のけぞったね。貧乏女房お歯黒まで塗った小汚い玉三郎ではありませんか。
しかし、この小汚い女房が、めんどくさそうに立ち居しながら、ぶつぶつ「お酒は残しとけ」だの「そこまで話されたら気になるじゃないか」だの他愛のないしゃべりをする様の、可愛らしいことったら!!!
旗本の息子新三郎の便利屋をやって小遣い程度の小金をもらいようやく生きている、男としてなっちゃいないなさけない伴蔵。でもどこかにちゃんと人間らしい心根がある。臆病で小心なくせに貧乏から抜けられる夢をつい見てしまう姿に「あなたはわたし」と思ってしまう。伴蔵だって理由があってやっているんだって。悪い奴の中の色気どころか、情けないずるい奴の中にも色気を感じさせてしまう仁左衛門さんって、、、!
そして、なによりも、横着で小心な、どこにでもいるちょっといけない夫婦の、絶妙な掛け合い。
この二人の、アドリブとさえ思わせるほど自然な掛け合いが、客席を湧かせながら、延々と場面を変えて続くのです。幸せ~。

久しぶりに、芝居を見た!!という満足感。

伴蔵が新三郎の死と引き替えに幽霊からもらった百両で、故郷で商いを始めて人並みに成功する。
しかし、貧乏なときにはぴたりと寄り添っていた夫婦を待っていたのは、伴蔵の浮気、知る人のない土地でのお峰の寂しさ、やってしまったことを知られるかもしれないという恐れにある男の身勝手さ。
夫に嫉妬する玉三郎のお峰は、怖いのだけれど、怖いけれど可愛さがうしなわれない。これはもう、この人の、天が与えた資質なのですね。堪能しました。
成金の伴蔵は、女房に問いつめられてしらを切ったりごまかしたり。ここでも駄目男ぶりをたっぷり見せてくれる。これだけ駄目男でも、男ってこんなものよと許したくなっちゃうから、いい男って得だなぁ。

はっきり言って、この話は、ひどい夫婦の身勝手な話です。嫌ぁな気分になってもおかしくない話です。因果応報のお話ですから。しかし、仁玉のお二人にかかると、人間だもの、そういうことはあるよ。生きてる人間が一番怖くて辛いよね。と、共感さえしてしまう。

もう一組の悪夫婦、錦之助さんの源次郎と吉弥さんのお国、こちらもよかった。仁玉のような絶妙な呼吸は望めないとしても、源次郎の女に狂わされた男の哀れさとお国の夫を裏切るほどの恋しい男への一途さにも、共感出来る芝居でした。

そして、最後の場面。伴蔵が邪魔になったお露を殺す。舞のような殺しの場面。二人とも綺麗だったなぁ。お峰はかわいそうだったなぁ。

玉三郎のお峰が嫉妬に狂ってさえあんなに可愛く、仁左衛門の伴蔵が妻を捨てるえらそう男になってさえあんなに香気があると、なんで伴蔵がお峰を殺さなくてはならないか、それを不思議におもってしまうという弱点はあるにはあるのですが。

二部 奴道成寺

そんなこんなで、仁玉の絶妙な芝居を堪能して、おまけの気分で座っていると、
一部で円朝さんを演じていた三津五郎さんが、白塗りの白拍子の装束で現れました。
え~、顔体のバランス違うのでは・・・と思ったのは、舞が始まるまでの三分の一秒くらいだった。
びっくり。
三津五郎さんが、こんなに踊りが上手な方とは。万作さんと同じ、芯が微動だにしない見事な舞に加え、奴姿の踊りの軽妙なこと。45分間、踊り通して、息も乱れず。足捌きも狂わず。歌舞伎とはこれだったか、と膝をうちたくなりました。良いものを見せていただき、ありがとうございました。

9月のラマンチャに続き、今月の「もう1回見たいなあ」のチケットでした。

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