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January 2008

January 29, 2008

志の輔パルコ寄席

2008年 1月 19日 日曜日 14:00

1年に1度のパルコ寄席。本日のお題は 異議なし! 富くじ 歓喜の歌 の3本。

志の輔さんの落語になぜこうも惹かれるのか、朝日新聞の記事にあった一つの言葉でわかった。
「反骨精神」 ああそういえばそういう言葉があったっけ。きっと私の中では、ずいぶん前に死語になっていたのだ。落語にはそれがあった。権威や権力や金の力に押しつぶされる市井の人間が持っていた、普通のまっとうな感覚。それが前面に出るのではなく、通奏低音のように流れている物語たち。去年の鶴瓶のらくだがものたちなかった理由はこれだった。

志の輔さんの落語を好きなのがそういう理由なら、今回の 異議なし や 富くじ がちょっと物語として物足りなかったのも無理はない。中村仲蔵や柳田格之進がすてきだったのもわかる。

歓喜の歌は昨年のリベンジで全編聴けてよかった。

世間で馬鹿にされている「おばさん」たちの「当たり前の真剣」に光を当ててくれてありがとうございました。
普通のおばさんの当たり前の一生懸命、それも、すでに死滅しつつある・・・と思いつつ聴いたので、少々痛かった。人は他人の真剣を知らないだけで、馬鹿にして見下してかかる。でも、知ったときに、それに心打たれて変われるとしたら、現代のメルヘンではあります。あきらめることなく、それを噺にする姿勢こそ、志の輔さんの反骨だと、思いました。私も、諦めるのはよそう、と、諦めることをやめようと、今年はそう心に決めて会場を出ました。

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January 22, 2008

新春浅草歌舞伎

2007年 1月 19日 浅草公会堂 第1部 11時。 
花道左脇 前から5列目。

今年は浅草歌舞伎をスルーしていたのだけれど、朝日新聞の劇評にあった「近年の名作」の一言と、
吃音の絵師に勘太郎、夫を支える気丈な男勝りの妻に亀、を知って、
この配役、これは行くっきゃないでしょう。

そこからが大変。チケットがない。とれない。(みなさんよく知っているのね・・・苦笑)
でも、舞台の神さまに見捨てられてなかった。
オケピに出たての「譲ります」を運良くキャッチ、前日の18日にチケットをゲット。ラッキーでした。

演目は傾城反魂香の「吃又」。
言葉に障害がある貧しい絵師又平は、絵を認められて名字帯刀を許される日の来ることを、心の頼りに生きている。
吉右衛門さんはこの役を、芸術家の苦悩と恍惚を添えて演じたのだという。
けれども、勘太郎の又平は、むしろ、ふつうの人を描く。
非凡な才能が煌めくわけではない。普通の人間が実直に努力して、それが実を結ばない哀しさ、自分へのふがいない思い、その上、生まれついた障害の不運、
夢を抱く痛さ、どうしようもない運命に苦しまなくてはならない理不尽、

しかし、どんな人間にも輝く天才がある。それが表出し、認められる日が、ある。・・・と信じたい・・・。
そんな物語をみせてくれました。

弟弟子は師匠に認められて名字帯刀を許され、その上、城への大切な役目を命じられる。
その弟弟子にすがって、自分に行かせてくれと頼む又平。
そんな未練を、師匠に「吃音のお前に出来るわけもない」としかられ、又平は、「ならば殺してくれ」と叫ぶ。
舞台の中央で勘太郎が見せた又平の切情。自分を切り裂くようなさけびだった。
何の取り柄もなく生まれた自分というものを、切り離してしまいたい又平の叫び。
これは、勘太郎にしかできない又平だったと思う。

この勘太郎の又平を寄り添い支えるのが、女房お徳。亀治郎さん、絶品でした。
夫の絶望を目の前にした後半が素晴らしかった。
お徳が、何とか夫を引き立ててとすがった師匠に振り払われて、座敷から縁側へよろけ、縁側の淵につまずいてへたり込む。お徳の視線の先に庭先にほうけた夫。お得は体をねじった姿勢のままに、夫をじっと見る。
一言も発せず、ただじっと見る。
長い長い沈黙。
その目が見ているのは、自分たち夫婦が世間から与えられたひとつも報われることのない運命だったろう。
怒りでもあきらめでもない、ただ、自分と夫の運命を見る、抜けるような目。
亀!!!!綺麗だった! あの、お徳のじっとたたずむ絶望が、目に焼き付いてはなれない。

死を覚悟しての場面。「絵を描いてくださんせ」と、夫にせがみ励ます声の優しさったら。
体の動き、声の絞り方、玉三郎を見ているかと思った。

一転して手水鉢の絵が抜ける奇跡で大団円になるのだけれど、認められて喜ぶ又吉の無邪気さや人の良さも、勘太郎ならでは。最後に亀の鼓で舞ったのは、端正で張りのある良い舞いでした。

人情話をやらせたら、今、若手でこの二人にかなう組み合わせはないと思う。
おふたりとも、気持ちの良いほど芝居をよく知り、極めようとしている。それが、伝わってくる。しかも、この話は若いふたりで演じることで、地味な話が重くなりすぎない。ふたりが若いことで、苦しい話に救いが生まれていた。

今日はお目当てはこれだけだったので、大満足だったのだけれど、このあとにうれしいおまけがついてきました。

弁天娘女男白波。
七の介が弁天小僧。女形の姿が素性を知られて居直り、有名な「しらざぁ言って聞かせやしょう」
そこまで少々眠気に襲われていたのが、突然目が覚めた。七の介くん、あなたはうんとお茶目なかっこつけの男の子なのね。女形の機微よりも、やんちゃな男の子でいたいのね。役を越えて一気に自分をさらけ出したすがすがしい啖呵だったよ。

最後に、五人の盗賊が花道に順に並んでゆく。獅童、七の介、亀、勘太郎、愛之助。
今を時めく若手歌舞伎役者たち。五人の男が傘を背にしょって並び立つ。花道の左の席だったので、五人が正面向いて私の真ん前、壮観だった。3階席では絶対味わえないスゴイ迫力だった。う~ん、これがお正月興業の幸せか!?若さの豪華を堪能。
ごちそうさまでした。

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January 09, 2008

寿初春歌舞伎 歌舞伎座

2008年 1月6日。団十郎さんの助六。歌舞伎はこれだったのか、という夜になりました。

様式を丁寧に重ねてあでやかに仕上げる。荒事という歌舞伎の美の伝統を見ました。

団十郎さんは、大きな病気のあとというのが嘘のように、瑞々しかった。
病気のこととお歳を考えれば、驚くほど綺麗でした。助六の花道の出の完成された流麗な動き。丸い傘を大きく開けた止め。紫と黒と赤と白の色のコントラスト。その男っぷり。
去年、志の輔さんで聴いた中村仲蔵の斧定九郎はこの姿だっただろうと納得。
これぞ、世界に向かって発信する歌舞伎の定型でしょう。


ただ、
絢爛たる豪華な役者絵が動く様は、お正月らしくて華やかあでやかだったけれど、正直に言えば、目が釘付けになることはなかった。
繊細な芝居や息をのむ緊迫感はなくて、私がのめり込む舞台とは少し違うジャンルだった。

「助六」は、男が、ものにした女に自分の男ぶりを見せびらかす、強烈なプロモーションビデオまたは写真集と同じなのだと思う。ひたすらセクシーに、「男」を見せつける。眼目は、黒羽二重の下に重ねた赤い着物のおはしょりから伸びる白い脚。花道の出も、脚煙管も、股くぐりも、見せつけたいのは彼の輝く脚。その強烈な純正なフェロモン。

仁左衛門さんの助六は二の足がぞくっとするほど綺麗だった、と、そう聞けば、この歌舞伎が何のために生まれたのかわかる。
男が女に見せびらかす。女が持ちえない、猛々しい若駒の美。
それを見たかったな。ぞっとするほど美しいしなやかな彼の脚を。

大好きな3階東2列目。前の手すりに体を預けて花道を見下ろして見た、
幸四郎さんと染五郎の連獅子も良かった。
 染!今日一番きれいだった。
 若い獅子の艶やかな毛並みが輝いて、染の細い体の線がとてもきれいに際立っていた。
 赤い長い毛が空を切って、百獣の王獅子と百花の王牡丹がひとつになって踊っていた。

だから余計、「助六」で、陶酔するほど美しい男の脚を見てみたかった。

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