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February 2008

February 15, 2008

文楽 2月公演 冥土の飛脚

国立劇場。文楽 近松の封印切り。

この浄瑠璃から、歌舞伎へ、歌舞伎から、太地ヒラミキのふたりを蜷川幸雄が演出した「近松心中物語」へ。

ヒラミキの舞台から逆に見てしまったわけですが、それはそれで、興味深かった。
文楽の忠平は若さゆえの間違いから太夫に入れあげ店の金に手を出した、とんでもない阿呆。しかも、封印を切ってしまうのも、梅川のためというよりも、自分の見栄はりのため。やれやれ。文楽が江戸時代、今のワイドショーの代わりになっていたんだなあと、妙なところで納得しました。

お話はそんなものだったのですが、人形が素晴らしかった。3回目の文楽で、一番人形を堪能しました。
梅川に会いに行こうか止めとこか、お堀の脇の柳端の道で逡巡する忠平の可愛い動き。
梅川を引きずるように手を引いてゆく忠平。
圧巻はかむろのお三味線。実際のお三味線の横で、かむろの人形がひく三味線芸の見事さ。拍手が湧き、まるでシルクドソレイユの芸を思わせるものでした。

残念至極だったのは、3幕の内のかんじんの2幕封印切りの段の浄瑠璃が住太夫さんでなかったこと。
初日だったせいもあるのかもしれませんが、綱太夫さんの浄瑠璃は、お歳を感じさせてしまうものでした。
張りのない声が後ろの席まで届かずに聞き取りにくく、声が良くないと語りの内容もわからなくなります。
人形が良かっただけに、悔しく思いました。

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リア王

蜷川幸雄・平幹二郎 満を持してのリア王 2008年 1月 25日 

さいたま彩の国芸術劇場は遠い。遠くて遠くて。こんなに遠かったかな。
2年半前に竜也の弱法師で来たときは少しも遠いと感じなかったのだけど。

4時間近い蜷川さんとヒラミキのリア王は、重さだけが残りました。心情の重苦しさではない。人生の不条理や深刻な悲しみではない。動きの重さ、重い毛皮の衣装も、怒りの怒鳴り声も、コーデリアの稚拙さも、重かったです。

ヒラミキの声が何となくオレステスの竜也の声と重なって聞こえました。蜷川さんの指示なのでしょうか。それとも、長い過酷な芝居の2回公演のソワレだったから?ヒラミキの七色の声を堪能したかったのですが。
ずっと重い声だけが続くと舞台が退屈になります。
毛皮を着た役者達は体の線や体の動きを見せられないので、更に舞台が単調に感じました。

パルコで見た「ドレッサー」のヒラミキは、意地悪で抜け目なく高慢な老優だったけれど、リアを演じるときに放つ輝きが美しかった。だから、その誇り高さに共感できました。
でも、今回のリアの怒りは単調で、狂気になってからのリアも、苦しさだけがつのってゆきました。
老いを表現する演出、演技とのことで、
観る者には少々長く辛かったです。

コーデリアは、清純さより若さゆえの想像力の欠如や自分の価値観への自信を、リア王の老いと対比して描いたようですが、乱暴なせりふ回しや堅い動作は、舞台の回転をさらに悪くしていたとおもいます。

高橋洋くんのエドガーが救いでした。
乞食の身なりでリアに会いかわいそうなトムを演じるエドガーは、観客に「どちらの人間が人としてあわれなのか」をしっかりと見せつけてくれました。
盲目になった父グロスターの手を引くエドガーは怒りや絶望に負けない意志の力にあふれていて、真に人間に必要なものが何なのかを訴えていた。重い舞台の中で、ひとり精彩を放っていました。

「自信満々な人間にとっての老い」がテーマだったのでしょうか。
観る者にカタルシスを与えてくれる種類の舞台ではなく、観る者の前にテーマをどんと置いて圧するような舞台でした。

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