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February 15, 2008

リア王

蜷川幸雄・平幹二郎 満を持してのリア王 2008年 1月 25日 

さいたま彩の国芸術劇場は遠い。遠くて遠くて。こんなに遠かったかな。
2年半前に竜也の弱法師で来たときは少しも遠いと感じなかったのだけど。

4時間近い蜷川さんとヒラミキのリア王は、重さだけが残りました。心情の重苦しさではない。人生の不条理や深刻な悲しみではない。動きの重さ、重い毛皮の衣装も、怒りの怒鳴り声も、コーデリアの稚拙さも、重かったです。

ヒラミキの声が何となくオレステスの竜也の声と重なって聞こえました。蜷川さんの指示なのでしょうか。それとも、長い過酷な芝居の2回公演のソワレだったから?ヒラミキの七色の声を堪能したかったのですが。
ずっと重い声だけが続くと舞台が退屈になります。
毛皮を着た役者達は体の線や体の動きを見せられないので、更に舞台が単調に感じました。

パルコで見た「ドレッサー」のヒラミキは、意地悪で抜け目なく高慢な老優だったけれど、リアを演じるときに放つ輝きが美しかった。だから、その誇り高さに共感できました。
でも、今回のリアの怒りは単調で、狂気になってからのリアも、苦しさだけがつのってゆきました。
老いを表現する演出、演技とのことで、
観る者には少々長く辛かったです。

コーデリアは、清純さより若さゆえの想像力の欠如や自分の価値観への自信を、リア王の老いと対比して描いたようですが、乱暴なせりふ回しや堅い動作は、舞台の回転をさらに悪くしていたとおもいます。

高橋洋くんのエドガーが救いでした。
乞食の身なりでリアに会いかわいそうなトムを演じるエドガーは、観客に「どちらの人間が人としてあわれなのか」をしっかりと見せつけてくれました。
盲目になった父グロスターの手を引くエドガーは怒りや絶望に負けない意志の力にあふれていて、真に人間に必要なものが何なのかを訴えていた。重い舞台の中で、ひとり精彩を放っていました。

「自信満々な人間にとっての老い」がテーマだったのでしょうか。
観る者にカタルシスを与えてくれる種類の舞台ではなく、観る者の前にテーマをどんと置いて圧するような舞台でした。

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