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August 02, 2008

大坂七月大歌舞伎 夜

7月23日 東京からの遠征。昼に続いて、夜は「熊谷陣屋」です。
「菅原伝授手習鑑」と同じ、武家社会が親に子を殺させる悲劇。

NHKの「日本の伝統芸能-歌舞伎を楽しむ」で予習も済ませてある。
昼の部「伽羅先代萩」の余韻もある。昼夜で母と父の愛を並べる趣向ですね。

さて、熊谷陣屋の前半は、平敦盛の母藤の井と直実の妻相模が、ともに我が子の生死を案じながら対面し対決するのが見せ場です。相模に秀太郎、藤の井に孝太郎。物語の年齢としては逆かなとも思うものの、相模は重要な役どころなのでベテランが演じます。(役の年齢と役者の年齢のギャップは、現代の歌舞伎にとって、マイナス面が大きいとは思うけれど)
さらに、仁左衛門・直実の登場。この役はどちらかというと、仁さまの風情にはあまり会わないなあと思い、でも
浄瑠璃にのって戦の場面を物語る姿は上手い。

ただし、朝早くからの新幹線と昼の演目のあともあって、以上の部分は、じつはちょっと、うとうとと・・・。

後半の見せ場にそなえてちょっとのお休みを自分に許し。(役者のみなさま済みません)

そして、一気に眠気を吹き飛ばす後半。
義経の前に現す討ち果たした平敦盛の首。嘆く藤の井は背を向けて動かず。
直実が持って義経に掲げたのは、直実の子小次郎の首。我が子の首を敵の若武者の首と偽って掲げる、その前には、二人の母。息子の死と縁ある人の子の死とが、急転直下入れ替わる。
しかも、子を殺した父は、あくまでわが子の死を敵の死と偽って悲しみをみじんも見せず。
「一枝を折れば一指を切るべし」の謎で密かに身代わりの子殺しを命じていた義経。そこにも、隠された感情を隠しおおす激情があり。
(ああ、籐十郎さんの義経もよかったけれど、ここに玉を持ってきたら、直実と義経の間にも隠された愛が生まれちゃうねぇ)
実の子の初陣を気遣ってはるばる陣屋に訪れた母の前にさらされた我が子の首。
しかもそれは夫が討ち、我が子の死を悲しむことさえ許されない。
父である前に家臣であり、母である前に妻でなくてはならない、武家の非情。またはそれは主君への愛か!?

すごいドラマだ。もちろん、あり得ないドラマだ。しかし、人はこんな形の自己実現さえつくってしまう。

それにしても、直実は、妻に対してひどくないか?最後は自分だけさっさと息子の菩提を弔うため出家しちゃうんだよ。ひどいよ・・・・と思うのだけど、それが・・・全部吹き飛ぶの。

仁左衛門さんの直実が、頭を剃り僧の姿になって、花道に立つ。

幕は下りて、義経も家来たちも妻もその姿が消える。直実だけが、一人立っている。間違いなく、彼は、彼が殺した我が子に向かって立っている。

言葉にならない涙。
言葉にしない激情。
武家の非情への、非情をなした自分への、怒りをも圧殺した慟哭。怒ることさえ自分に許さず、一切の言葉を自分に許さず、ただ初めて父として息子の前に立つ男。
自分に殺された我が子に対して、ただ自分の魂を差し出す男。

仁左衛門さん、かっこ良すぎるよ~!!!!!!!

はぁ~。

で、かっこよすぎる仁左衛門さんにうっとりして白昼夢にいたわたしに、
共に観劇した友人のひとこと。
「これ(熊谷陣屋)前に見たよね」

え”----っ!いつ?
全然覚えていなかった。同じ演目を2年前に幸四郎さんで見ていたとは。
というより、途中全然思い出さなかった。演出の違いや脚本の変更があるわけでなし、ただただ役者が違うだけ。前回、わたし、うとうとのまま、後半もスルーしてしまったんでしょうか・・・。

その日覚えているのは、海老を見に行って菊之助が気に入ったことと、最後の仁左衛門さんの踊りだった。
そういえば、あれが、わたしの仁さま初体験でした。

つくづく、ポイントのみ掴んであとは捨てちゃっている自分らしいことではありました。

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