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August 01, 2008

こまつ座 父と暮らせば

2008 6 21 (土) マチネ
紀伊国屋サザンシアター

最前列 センターブロック

宮沢りえさん主演の映画「父とくらせば」で、りえさんの透明感としんの強さにうたれた。
映画を見たときに、これは舞台にすると良いな、と感じていた。
もともとは1994年初演の舞台作品だったと、今回知る。
すでにモスクワや香港での海外公演もしている有名な作品だった。

俳優は初演から数えて4組目の顔合わせとなる 辻萬長さん・栗田桃子さん。
演出は鵜山仁さん。

原爆投下3年後の広島の父と娘のささやかな日常。原爆は誰も抗うことができないほどの強い力を持つ素材だ。
それを井上ひさしは、娘を思う父の心、父をいとしむ娘の心とでそっとつつんで戯曲にした。

つつんだ柔らかいベール。
父と娘のささやかな日常、恋心や絵本の語り部の仕事、雨漏りする部屋や父娘でつくる郷土の料理。
雨音や日差しから漏れる蝉の声が聞こえてくるし、風呂の湯の温かさやごはんの香りが漂ってくる。
薄い優しいベール。

そのベールの下には、太陽がふたつ燃えて広島の人々を焼き尽くした恐ろしい地獄がある。

娘の行く末を思う父。
その父は、原爆の火で焼かれて死んだ父だ。
観客は、目の前でごく普通に生きている父が幽霊だと、やがて気づくのだけれど、気づいたときにはもう、父は、観客にとって生きている人と変わりない存在になっている。
だから、娘の行く末をきづかう父の心情だけが大きく大きく見える。

生き残った者の罪悪感を背負う娘を「ゆるす」ことは、死んだ者たちにしかできない。
父は、そのために、娘の前に現れたのだ。

恐ろしい地獄をつくるのも、
ささやかなまっとうな幸福を生み出すのも、
人間なのだ。
それを語るために作者は
素材の強力さに負けない、柔らかい、むしろ暖かい、それゆえに美しい、ベールを作り上げたのだと思う。

「人間合格」「思い出のすきまに」で見てきた鵜山さんの舞台にはまっとうなあたたかさがある。
戯曲に対しても、役者に対しても、誠実さを感じる。派手さはない。劇的なテンションはない。
それが、この戯曲にうまくあっていた。

劇的という言葉には、人を驚かせるどぎつさや扇情的な意味合いが強くなっているけれど、
本来の「劇的」は、そんなものではないのかもしれない。
派手な演出効果で驚かせたり泣かせたり笑わせたりするのではなく、人間の小さな営みに物語をみることなのかもしれない。

辻萬長さんも、栗田桃子さんも、市井の人の素朴さもあり、戯曲の持つ力をまっとうに表現して、悪くなかった。
役者の力や「演出効果」を味わう種類の作品ではない。
小さな物語と、そこから見える大きな悲劇を、観客の眼前に差し出す作品なのだと思う。

ただ、
脚本に忠実なこの舞台を見て、改めて思った。
宮沢りえは、凄い。
映画では、この脚本が用意したシチュエーションを越えて、彼女の透明感が圧倒的だった。

もしも、彼女がこの舞台に立ったら、どうだっただろう。
時に、特別の役者たちだけがなすあの場面、脚本を越えて新しい世界が生まれるあの瞬間。
「ロープ」にいた宮沢りえだったら、
もしかしたら、舞台でも彼女の透明感が作品を別の次元に持って行っていたかもしれない。

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Comments

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Posted by: free minecraft download | September 16, 2014 at 11:25 PM

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