« 光の春 再開 蛮幽鬼へ | Main | シャドーランズ »

January 10, 2010

ANJIN イングリッシュサムライ 按針

2010年1月5日 まだ松の内の銀河劇場

ホロプロの日英合作歴史大作。演出グレゴリードーラン。せりふの半分近くが英語で、日英語どちらにも字幕がつく。

イギリス人船乗りで家康に仕えることになったウィリアムアダムス日本名三浦按針にオーウェン・ディール、科白は英語から次第にカタコトの日本語へ。
アンジンに心のうちを見せる家康に市村正親。
キリシタンに入信しアンジンと家康の間で通訳をする日本人宣教師ドミニコに藤原竜也。前半はほとんど英語で後半に向かって日本語も増える。

1部1時間40分強、休憩を挟んで2部1時間半。上演予定時間掲示を見て、うわっ長っ、とつぶやくも、実は長いと感じなかった。
最後までこの作品のめざすところが見つけだせず、主題をつかんだうえで「ここは無駄だなぁ」「ここいらないなぁ」と感じることもできず、「何を描きたいのか」をひたすら探しているまに3時間強がすぎた。
そして結論。この作品には演劇としてめざす頂きがなかった。次々と場面が変わってゆく絵巻物のような舞台。

400年前に実在したイギリス人、彼が出会ったであろう日本、その支配者(家康)、彼があとにしてきたヨーロッパ社会の宗教対立が日本にまで色濃く入り込んできていたことへのイギリス人としての認識、
それらをこの脚本はカタログのように上手に組み立てたのだと思う。

終わってみれば、ウィンドウショッピングに似ていた。
イギリス人から見た日本を感じさせてくれる絢爛たる舞台美術と分かりやすい衣装。
善玉悪玉がはっきりしている登場人物。
家康が幼い国松に死を申しつけるところに、市村家康がくっきり見えて見せ場のひとつにしていた。市村さんはずっと日本語だったのが良かったように思う。
科白の大半がカタコト英語とカタコト日本語だった竜也とオーウィンさんはそれぞれ、英語で芝居をしている、日本語をしゃべっている、その姿を見せることに重きが置かれていた。それが片や通訳として二つの文化をつなぐことを象徴し、もう一方で異国で暮らす人生を選んでゆく人間を象徴していたのだろう。

ショーウィンドウのようであったので、見るものが世界に入り込んでゆく演劇の力は欠けていた。
結局、作品が表現したかった唯一のゴールは「日英演劇をつなぐ芸能プロダクション」というホロプロの自画像だったのだと感じた。

芝居ではなくて、良質のエンターテイメントでもなくて、演劇とも言いづらい・・・・
美を唯一の価値基準とする世界のものではなく
まさに純粋に商業演劇の興業そのものだった。

私の心が「さよなら」を言う舞台なのだろうと予想して天王洲へ行ったのだけれど。
劇場をあとにする私の心は「じゃ、またいつか。元気でね」と言っていたように思う。
違う世界の住人になった彼へ。

|

« 光の春 再開 蛮幽鬼へ | Main | シャドーランズ »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 光の春 再開 蛮幽鬼へ | Main | シャドーランズ »