« March 2010 | Main | August 2010 »

July 2010

July 23, 2010

黙阿弥オペラ

2010年7月22日。 
ホリプロ・こまつ座共同企画

井上ひさし追悼公演、
藤原竜也
吉田鋼太郎、北村有起哉、松田洋治、熊谷真美、大鷹明良、

新宿サザンシアター

平日のソワレだったためでしょうか。客層の7~8割はこまつ座(井上演劇)を見に来ていたようです。竜也めあての女性客は少数派のように見えました。

あまり期待しないで行ったのが良かったのか、

井上さんの作品として楽しめました。

幕末から明治初期の日本の大きな変化の時を舞台に、
戯作者の変わらない志と江戸から明治に世の中が変わって右往左往する庶民の可笑しさ哀しさ。
どんな生活の中でも仲間がいれば生きていけるという太い太いメッセージ。
戦後の日本を幕末に映した作品です。

メッセージも良く伝わり、ドタバタ喜劇の正当派でもあり、最後は振り出しに戻ってほろっとさせる人情劇。

井上さんの真骨頂でしょうか。溢れる言葉、言葉。

楽しめたのですが、

しかーし、ホリプロよ!

これは黙阿弥つまり戯作者新七が主人公じゃないですか!
だって、「黙阿弥オペラ」ですよ。吉田さんがタイトルロールですよ!

今まで見た鋼太郎さん出演作で一番良かった。
蜷川さん演出の時の変な力が抜けて、きれいに新七になっていた。

藤原竜也主演じゃないよね。チラシのあつかい、ペテンだよね。井上芝居で皮肉られるごまかしだよね。

それやっちゃあおしまいじゃないか?


それやったからから・・・・じゃないでしょうか。

五郎蔵を演じた竜也くんは
五郎蔵を「主役」にして頑張っていたように見えました。

でも、作品の主役は戯作者の新七です。

新七は社会の波にのれない。
のれないのではなくのらない。
新七が五郎蔵たちの頼みを断る言葉は
「急いで換えたものは薄い」「やぶけやすい」「そこに必要とする人がいて生まれるのが真実の戯作やオペラや銀行の仕事」「自分が金儲けをしたくて西洋を形だけ真似しても、人々が望む真実から生まれたものでなければ偽物ですぐ壊れる」。

ここに井上さんの脚本家としての志があります。
時代の大きな変化の中で人間が右往左往しながら、あるものは新しいものに飛びつき、あるものは古いものを捨てられず、表の皮をとってしまえば新しいもふるいもなく人間は同じ。志を見失うな。と。


しかし、物語の進行をリードするのは新七ではありません。新七は世間を見つめている人間です。
世間のただ中で生き、物語を進めてゆくのは五郎蔵です。

世の中の大波を進んでゆく人間たち。あさましく、薄っぺらく、図太く、切なく、哀しく、愛らしい。
井上さんが一番描きたい右往左往する庶民、それを託したのが五郎蔵なのです。

物語は二人が身投げして止め合う珍妙な場面から始まりました。

お金がないゆえに子どもを売り、死なせてしまった五郎蔵の痛切な悲劇。
そこから、五郎蔵は体の中におおきな悲劇をかかえているはず。
子どもを死なせることになった大店への憎しみ、自分が原因をつくってしまった悔いとどうしようもなさ。

やがて、五郎蔵は車夫を束ねる任侠に近い立場にもなる。
それが出来るのも、自分の中に大きな悲劇と世の中で生き抜くどん欲さを抱えていたから。
人間の清濁を飲み込んで生きているから。

五郎蔵はたんなる元気で乱暴な江戸庶民ではありません。

彼は泥の中で生き抜くダークなパワーを持っている。
自分の作品への自意識で揺れるひ弱な戯作者新七(主役!)とは対極にいます。

生きてゆくため金をもうけるためには悪いことだってする。平気で人を利用する。
そうやって金をもうけてゆくことが彼の復讐でもある。だから他の株仲間から抜きんでている。


竜也くんの五郎蔵は、若くて元気な鉄砲玉みたいでした。べらんめぇの江戸弁があふれていました。勢いがありました。

でも、それだけしか感じられなかった。

五郎蔵が抱えている深い傷が見えなかった。

五郎蔵を
若いときの緒方拳さんがやったら・・・。
五郎蔵を仁左衛門さんがやったら・・・。


あっ、

橋じゅんがやったら!

すごく魅力的な五郎蔵にならないかしら。

たとえば中井さんの新七と橋じゅんの五郎蔵。
この作品の味わいがうんとパワフルに新七のメッセージがいっそう美しく変わるんじゃないかしら。

舞台を思い返しながら、
こんなふうに別の配役で別の角度でこの戯曲を見たいと
思ったのでした。

| | Comments (13)

July 20, 2010

キャラクター

2010年 7月1日
芸術劇場 in 池袋

野田秀樹さんが、渾身の力を振り絞って書いた本なのかな。

オウム真理教の地下鉄サリン事件を
忘れるな、同じことは今までもいまもそこでもどこでも
起きているじゃないか

と訴える本です。

漢字を解体した言葉遊びをちりばめ、
オウム一色にならないように、物語全体をギリシア神話で包み込み、
集団狂信を上手な群舞に換えて、

なんたって、凄い役者さんたちを揃えてる。
橋爪功さん、古田新太くん、宮沢りえちゃん、銀粉蝶さん、池内博之さん
そうそうたる力の入ったメンバーで。

しかし、言いたいことがあまりにも全面に出て、ものの数分で「集団が狂気に走るからくりのあほらしさ」は分かったけれど、

それ以上がとうとう最後まで出てこなかった。3時間引っ張って、結局これか・・・・。

役者さんはみな良かったのにね。
りえちゃんは人形の家のほうがはるかに良かったけどね。
古田さんなんかあまりにもはまり役で、他の役が考えられない。

楽しめたし、考えさせられたけど、
う・・・・ん、もったいない。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

真夜中のパーティー

2010年 7月 18日
マチネ 13:00 パルコ劇場

パルコなので、チケットを取りました。
40年前のアメリカの戯曲で、映画が有名だそうです。
この素材は映画も面白そう。見てみようかな。

脚本は
60年代の病んだアメリカそのもの。ホモセクシュアル、上流階級、知的エリート、 表面の明るさと裏面の闇。
主人公のマイケルは「ゲイ」でゲイの仲間の一人ハロルドの誕生パーティーを自宅で開く。
当然客たちもみなゲイ。

ところがそこに、突然、大学時代のルームメイトアランが訪れる。
アランはしんそこのストレートでマイケルは彼とルームメイトだった頃はまだカミングアウトしていなかった。
だから、マイケルはアランにゲイの自分を見せたくない。

しかし、妻との離婚で傷心のアランをマイケルはひきとめる。
アランはゲイ仲間のひとりで天真爛漫なエモリーの「おねえ」言葉に激高。
唯一自分と同じまともな階級の人間だと感じた教師のハンクもゲイだったと知らされ、帰ろうとする。しかし、なぜかマイケルは執拗にひきとめる。

マイケルはパーティーの遊びを提案する。
自分が一番愛している人間に電話をして「愛している」と言うゲーム。

みんなはいやがるがマイケルは内心見下している黒人のバーナードや人の良いエモリーにゲームを強制する。
ゲームはバーナードやエモリーの大切な思い出を傷つける。

仲間の中で一番冷静で「普通」に見えるハンクが受話器を取る。
同じ場にいるラリーに愛していると告げる。
ラリーはハンクが求める貞節を拒否し他の相手も愛することをやめないと宣言する。
彼はあくまで自分を変えない、しかしそれでも、ハンクを一番愛していることも事実なのだ。
ラリーもまたハンクに電話で愛を告げ、二人は和解する。


マイケルはアランにも「一番愛している相手」に電話をさせようとする。
電話の相手はマイケルともアランとも共通の大学時代の友人。
アランはその友人と「とても親しかった」としか言わない。
しかし、マイケルは知っていた。
友人はゲイで、アランは彼を愛し彼と関係を持っていたのに、彼を捨てて今の妻と結婚していたのだった。
マイケルはアランに彼を愛していることを認めさせようと受話器を突きつける。
この電話こそ、マイケルがゲームを提案した目的だった。

アランは電話をする。愛してる、と。
しかし、その相手はマイケルが望んだ大学時代の彼ではなく、離婚した妻だった。

おやおや、つい筋をかきこんでしまいました。

かきこみたくなるほど、よく練られた脚本です。

それぞれの登場人物が傷をもち、その傷口をわざと開かせてゆくストーリー。

黒人やユダヤやゲイの、マイノリティーが抱える苦しさ。
しかし、それぞれが自分の抱える苦しさとむきあい自分に正直に生きている。
バーナードもエモリーもハロルドも。

出自がマイノリティーでなくても、結婚し二人の子どもまでいる普通のアメリカ市民の地位と立場を得ていながら、本当に愛している対象に気づき、まっとうなアメリカ市民の立場を捨てたハンク。大きな犠牲をはらって貫く誠実さ。

そんななかで、たったひとり、マイノリティーである自分を受け入れていない、自分を好きでいないのが
パーティーの主催者のマイケルだった。

マイケルはアランとの共通の友人を愛していたのか。
彼に選ばれたのがアランだったことで、嫉妬し憎んでいたのか。
それとも、あくまでストレートの世界にいようとするアランを自分と同じ側に引き込みたかったのか。
自分と同じ人間がほしかったのか。

マイケルはアランの偽善を暴こうとして、自分自身の嘘を露わにしてしまった。


などなど、じつにさまざまに考えさせてくれるよくできた脚本でした。

マイケルを演じる役者さんが

たとえば、中井貴一さんだったらねえ。

もう、それだけで、
脚本を思い返す必要もなく
生でその場で、ひりひりとした痛みや残酷さや哀しさを
感じる舞台になったと思うんだけどね。

どうでしょう、蜷川さん、

この戯曲、やってみませんか。

若い役者では、病んだアメリカは演じられない。
病んだアメリカを演じないと、
今の病んだ日本が同じだってことが伝わらない。
 

| | Comments (2)

July 19, 2010

スタジオライフ じゃじゃ馬ならし

2010年7月18日 ソワレ Wチーム

山本芳樹くんがペトルーチオ、松本慎也くんがキャタリーナ

シェークスピアの祝祭(祝宴)喜劇

そのなかでも、一番単純なおはなしじゃなかろうか。

貴族の家に娘が二人。姉キャタリーナはおそおろしいじゃじゃうまで、気が強くてわがままで乱暴者。男に従う気などさらさらない。妹ビアンカは正反対。気の優しいおとなしい娘。

ビアンカには求婚者が殺到するが、キャタリーナにはだれも近寄らない。

二人の父は、姉が嫁がなければ妹も嫁には出さぬと言う。
そこで、ビアンカに求婚したい男たちが、お金があればどんな女でもよいというペトルーチオに姉をもらってくれと頼む。お安いご用とペトルーチオ。

ペトルーチオはキャタリーナというじゃじゃ馬をみごとに飼い慣らし、
最後にはキャタリーナが「妻は夫に従ってこそ幸せ」と訴えて拍手喝采。

という、お話しなのです。
これは、およそ、現代の女性観客の共感を得るとは思えない戯曲ではありませんか。
シェークスピアの時代から男たちは怒る女房が怖い、だから、結婚式の余興にこんな戯曲で盛り上がりたい、
という気持ちは良く伝わりますがね。

しかし、

さすが、スタジオライフ。一座のオーナーシェフの倉田淳さんは、戯曲の裏をかいて、楽しくはじける作品にしました。

なんたって、
今時の男の子たちが口にしたくても言えない密かな願望を舞台いっぱいに炸裂させてあげたようです。

真夏の夜の夢で女王様だった林勇輔くんが「観客」役の売れない女優(劇中では似合わない天使!)
原作では意味不明のこの役ですが、倉田さんはこの役に「観客女目線」を仕込めるだけ仕込みました。
だから、観客は、完全に、「気が強くて売れない女優=劇に入り込んだ天使=キャテリーナ」の目線で見ている。

キャテリーナが自分以上に乱暴で我が儘なペトルーチオの振る舞いを浴びて、自分が何ものなのか気づいてゆく「気づきのドラマ」に仕立て上げちゃって、そのうえ、見ている観客には「やっぱり女が上」って思わせてる、

うまいなぁ。

男の子たちが、(もう30越えているいおじさんもいる!)そろいの白い天使服着て十数人、
「おんなはこわい」って
歌っておどってはじけるんですよ。これで女性客たちが大喜びしなかったらうそでしょう。

シェークスピアの時代の劇って、こんなもんだったんだよねー!!!

またしてもつくづく感じ入り。

とにかく楽しい。

スタジオライフならではの男のこたちのあぶない楽しさに加えて、
男たちが普段絶対言えない女を思いっきり蔑視する科白を言っちゃって、
見ている女たちが男たちの勝手な言いぐさを見て笑って、
原作の時代から今まで、もしかしたら男たちがやんやの喝采をしてきた劇を、女たちにも喝采させる劇にしちゃったね。

おみごと。

10月の蜷川さんの亀次郎主演のじゃじゃ馬ならしが楽しみなようなこわいような・・・。

| | Comments (2)

« March 2010 | Main | August 2010 »