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September 19, 2010

木の皿

振り絞るように吐く「怖い」・・・・・その時カトケンの目はほんとに光ってると思う。


2010年 9月10日 金曜日 夜
本多劇場

休憩なしの2時間15分。

老人のロンを演じる加藤健一さん。やっぱりカトケンは凄いわ。

物語は年老いた父が家の「厄介者」になってしまった姿を描きます。

結婚以来20年間、義父の面倒を見続けてきたケイト。夫婦の家に間借りしし始めた若いエドの存在がケイトの心に今までなかった「夢」を作り出してしまいます。

年老いた父と「お父さんが出ていかないなら私が出てゆく」と迫る妻の間で為すすべのない夫のグレン。
父を老人ホームに送る相談で帰京した長男には父を引き取る気持ちは毛頭ない。誰しも自分と自分の家族だ大事だと、それに異を唱えるのは難しいのだけれど。
この兄弟には、さらに、何度手紙を出しても返事さえしてこない弟たちがいる。それが、いっそうどうしようもないやりきれなさを増幅させます。

歳をとるそのことが罪のはずがない。しかし、目も見えなくなってきた老人は楽しみの煙草に火をつけては小火をおこし、食事のたびに皿を割り、これ以上食器を割らないように与えられた木の皿を呪います。

「これ以上犠牲になりたくない」と叫ぶケイトを誰も責められないでしょう。ケイトに犠牲を強いることはできない。けれど、自分が引き受けることも出来ない。それが「犠牲」であることが悲劇なのです。

老人ホームになど入りたくない、ただ普通に自分の家で孫や友達と暮らしていたいと望む老人を
ケイトが望むように追い出せるのか。追い出して良いのか。

この物語に「解決」はないように見えます。
目の前で起きていることに延々と何も解決策がない袋小路が続きます。
重苦しく、出口がなくて、この芝居はどうやって終わるのでしょう?

ほんとうに重苦しいきもちのまま終盤を迎えたとき、
孫のスーザンが「私も家を出る。おじいちゃん、一緒に暮らそう」と言い出して、
彼女にとって祖父と暮らすことは犠牲でないのなら、
観客はみな、彼女のこの提案にほっとしたとおもう。

けれども、老人はその申し出を拒みます。

ここからが、素晴らしかった。カトケンワールド炸裂だった。

老人ははじめて、他者の献身を正面から受け止め、自分が「犠牲」を受けることに立ち向かうのです。

「怖い」と、震えながら、目に強い強い光が宿っている、老人の姿に、

人が人として生きる尊厳のなんたるかが輝いて見えました。

あの最後のロンの姿がなかったら、正直、この劇は苦しかった。
役者さんがみな、自然で、演出もあざとくなく、まっとうな気持ちよい劇空間だっただけに、そこに描き出された家族の姿を見るのがつらかった。

どんな状況でも、どこかに、尊く生きる方向があると言ってくれたように思います。

それだけに、最後の娘の木の皿を胸に抱いて言った一言「お母さんにもいつかこの皿がいる」は、
いらなかったなぁ。それは「母」にだけ向けて言われる言葉ではなかったように思う。すべての人が自分に抱える言葉だったように思うのだけど。

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