« キサラギ | Main | じゃじゃ馬馴らし »

October 11, 2010

ゲキシネ 蛮幽鬼

ひたすらかっこよいサジにまた会えて、また会いたい。


狂喜乱舞の昨秋の公演。演舞場で2度、大阪に遠征してもう1度、見た舞台の「映像作品」です。

興奮もおさまった1年後の、2010年10月10日。
興奮の名残を見たくて、松竹の本拠地である東銀座の東劇で鑑賞してきました。
東銀座の駅を降りると、歌舞伎座のあったところはちょうど更地になっていました。抜けてしまった歯のようで痛いなぁ。
演舞場を左にみながら映画館に入ります。満員だった熱気は1年の昔に去り、観客はまばらです。

上川くんはアップに耐える良い男だし、橋本じゅんちゃんの極悪メイクは楽しい。
じゅんちゃんの役作りにおける抜群の開き直りはいつ見てもすがすがしい。彼の変身ぶりが極悪メイクや派手な衣装でパワーアップしていることを実感。
これはゲキシネならではの発見です。
素(にちがいない)純な悪さ狡さ可愛さで天下一品の山内佳哉くん、遠くから見てもアップにしても存在感がある。彼は周りが芸達者で刺激が強ければ強いほど燃えるタイプでしょう。物語よりもそこにいる相方たちと勝負している。

大王の右近健一さんは今年7月に見た真夜中のパーティーで楽しく切ないエネミーを演じていた役者さん。
大王とエネミー。どいらも「男らしさ」の対極を描いていて、情けなさのなかに「男らしい」心。上手い。もちろん楽しい。・・・それにしても、体型まで違って見えた。役者さんてすごいわ。
千葉哲也さんのあくどい感じ。「はかりごとはいいぞ」の楽しげな笑み。これもアップならでは。

映像はナマで見た新感線の細部をたっぷり楽しめました。舞台ではその勢いでどんどん進んでしまったひとりひとりの楽しさを、再確認しました。

とともに、演劇と映画の違いを痛感し、私はナマの現場の一体感が好きなのだとわかりました。
舞台で発する熱が好きなのね。静けさも、熱気も、怒りも、悲しみも、間に何も通さないで感じられる。
人が人から何かを感じるためには、発する人間は、自分が自分だけで感じている時の何倍もの力がいる。
映像はその部分をアップやカット割りや音楽やアングルで大きくできるのだけど、
ナマの舞台は人間の力だけで空気を圧倒しなければならない。

すべてのナマのパフォーマンスの凄さは1個の生き物である人間自身が力を発さなければならないところなのですね。自家発電しなければならない。

まあ、それはそれとして、ゲキシネは蛮幽鬼を楽しく再発見できる映像でした。

そしてね、再発見の最大の収穫は、

やっぱり、堺雅人さんのサジ(殺し屋)でした。
舞台では早乙女くんの殺陣のすばらしさに息をのみ拍手喝采しつつ、比べれば堺雅人さんは頑張っているけれど相当苦しかったのです。でも、映像はそのへんを上手に処理してくれていて、サジのかっこよさを堪能できました。

そして、わたしがこの作品をこんなに楽しめたのは、
サジというキャラクターに感情移入していたからだったと発見。
去年熱狂しているときでも、実は完全に成功しているとは思えなかったキャラクターだったのですが、
最後まで自分の名前も拒否し、他人を名前で呼ぶこともなかったサジ。
冷たい男を堺雅人さんは冷たく演じなかった。
人間らしさを拒絶した笑顔の温度のなさ。
それでいて、堺雅人さんの声が暖かい。
一瞬見せる怜悧な眼差し。これがきれいで、これを見るために、演舞場に行ってた。

堺雅人さんには、自分を外から見ているところがあって、酔っていないところがあって、
それが、彼のサジを、殺人凶器ではなくて、あくまで人間にしていたように、今は思う。

|

« キサラギ | Main | じゃじゃ馬馴らし »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« キサラギ | Main | じゃじゃ馬馴らし »