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October 31, 2010

錦秋十月大歌舞伎

「舞台に現れていない弟の知略が観客の心に焼き付いた・・・仁さま会心の笑み」


2010年10月22日夜の部。

新橋演舞場。2階右(歌舞伎座の東に当たります)。2列。
歌舞伎座と違って演舞場の2階席は3階席と同じ椅子席です。

演舞場、1年前に堺雅人さんのサジを見に通いました。熱かったあの空間。

大歌舞伎ですが、2階席には空席があちこちに見えます。

仁さまの「盛綱陣屋」
寺子屋や熊谷陣屋と同じ構造の物語です。主君への忠義のために家族を犠牲にする。武家の悲劇を描きます。

ただ、「盛綱陣屋」は、盛綱自身の子は手柄を立てた方で、犠牲になったのは敵方になった弟高綱の一子小四郎、盛綱にとっては甥に当たります。
子どもではなくて甥、盛綱から見て遠い分、孫に自死をせまらなくてはならない盛綱の母微妙や夫高綱の計略で子を失うことになる高綱の妻篝火ら、女たちの悲しみと葛藤に物語の中盤を与えている物語です。

物語は鎌倉時代北条のお話にしていますが、実際は大阪冬の陣の出来事。
北条時政がめっちゃいやな上司、これは徳川家康のことで、この上司のもとで苦渋の決断をする佐々木盛綱は大阪冬の陣で豊臣徳川両陣営に分かれた真田のお家のお兄さん。

真田家は家の存続のために冬の陣で豊臣に弟、徳川に兄、あえて兄弟が敵味方に分かれたのです。

主君への忠義と家族愛が切りさかれる武家の悲劇に、家を絶やすことが出来ない大きな重責が加わります。

捉えられた小四郎をえさに高綱を罠にかけようとする時政は家康のこと。おもいっきりやなやつ。にくき敵幸村(高綱)をその子小四郎を利用して捉えようとするのです。

ですから、物語の本当の主人公は滅びの美学を体現する佐々木高綱(真田幸村)。子を失いながらも時政(家康)に刃向かい続ける。けれども彼は舞台には出てきません。

出てくるのは戦いで捕まった高綱の一子小四郎。敵方になった高綱の兄盛綱。子と孫が相争う立場になっている母であり祖母である微妙。高綱の妻小四郎の母篝火。

主人公が出てこない物語。その主人公を観客の目に中に映させる技がこの舞台の枢要なのです。

それは、この物語では
息子高綱が時政の罠にかかって真田の家の名を落とすことを避けようと孫に自死を迫る祖母と
父の計略のために死ぬ時を遅らせようとする孫の葛藤であり、
兄盛綱が弟高綱の首を調べるするその場であり、
高綱の妻が夫の計略で自死する子を一目見ようとする悲哀であり、
高綱の武将和田兵衛が敵陣に一人乗り込む剛毅であり。

団十郎さん、和田兵衛の堂々とした重量感と軽妙のバランスが良かった。
小四郎の子役がとっっても可愛かった。

しかし、その場に出てこない高綱をみごとに目に焼き付けたのは、
やはり、仁さまでした。

仁さまの盛綱が弟と思って目を開けて見た首は高綱ではなかった。偽首を本物と思わせるために高綱はあえて子の小四郎を敵方に捉えさせ、偽首を見て自死させた。
盛綱は小四郎の切腹をみやって、弟の知略を飲み込み、してやったりの笑みを浮かべます。
兄は弟の知略をさぞや真田の家の誇りに思い、兄弟が敵味方に別れてまで家を生きのびさせる深い計略を思い、自分に手渡されたバトンを受け取ったのです。

あの首検分の盛綱(仁さま)の顔に浮かんだ会心の笑みが
観客にその場に現れていない高綱の知略を見せて、
この物語の全部をかっさらっていっちゃた。
いない人間を存在させる。キサラギや十二人の怒れる男にもあった演劇のひとつの手法なのでしょうか。
仁さまは、そこをわかって、制限された歌舞伎の様式で、演じきる。凄いです。


演目の3つ目「酒屋」は文楽で見た「艶容(あですがた)女舞衣」。
福助が他の女と逃げてしまった夫をただ待つ貞女のお園と愛人と逃げる半七の2役。福助は若い色男が似合うみたい。彼の女形には妙に男を感じていたのだけれど、やっぱ、そうだよねぇ。彼は、女より女をあしらう色男の方が向いているなぁ。もちろん、きれいなのですけれど。

文楽の人形を人間が演じると女が生臭くなる。男がつまらなくなる。

人間が人形を越えるのが、歌舞伎の命題なのでしょうか。

ナマの人間が空間を支配する重さを感じた今月の大歌舞伎でした。

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