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December 2010

December 31, 2010

抜け穴の会議室

90分1本勝負の二人芝居  楽しかった!

2010年 12月22日。 17時 パルコ劇場。 昼の菊の玉手とこの作品とダブルヘッダーで今年の観劇納めです。
先月のパルコ中井さんの「カーディガン」が微妙にストライクではなかったのですが、今日はリベンジになりました。
やっぱり パルコにはずれなし です。

佐々木蔵之介の「チーム申」、脚本演出の前川知大。
相手役に大杉漣を迎えての二人芝居、脚本を大杉さんに合わせて変更した上での再演とのことでした。
前作は誰が相手役だったのだろう。この作品は、役者ならやってみたいに違いない。
古沢良太さんといい、日本人の作家も良い本は良いなぁ。嬉しくなります。

舞台は90分休憩なし。
中央はらせん状にやや高くなっている。所々に本が入っている棚をしつらえた壁。これがが高い天井までそびえ立つ。奥と両サイドにドア。ここが会議室らしい。
眠りから覚めた男と男の目覚めを待っていたもう一人の男だいる。

これは何?ここはどこ?この人は誰?
観客が抱く「?」・・・・この「?」自体がこの舞台のテーマなのです。なんて挑戦的な脚本でしょう。
観客は観ている間じゅう想像力を働かせ続けていなければなりません。

二人の男がいるのは輪廻転生を繰り返す人間の死と次の生の間の場所のようです・・・
そして、前世で関係のあった人間どうしが床に散らばっている本を読んで互いに消えている自分の記憶を確認し合う・・・

前川さんの作品、去年の「狭き門より入れ」もハートウォーミングSFでした。
今回はそれ以上にスタイリッシュなハートウォーミングSFでした。

臨終を迎えた年老いた医師・・20歳になったばかりの看護専門学校生・・東北地方で厳格な父に反抗しきれず鬱屈する息子・・救急医療の現場で働く医者・・

対する大杉漣さんもまた
自分の記憶を振り返るために相手の目覚めを待つ男・・靴やで店員に間違えられた客・・息子のふがいなさにイライラをつのらせる厳格な父・・幼い娘の治療のために骨髄移植ドナーを求める父・・

二人は1冊ずつ本を手にしては記憶をよみがえらせ、
さらにふたりが同時に本に触ることでフラッシュバックが起きて、閉ざされていた記憶の場面が表れ、場面ごとにつぎつぎに人格をかえてゆきます。

二人は前世では若いときに偶然客として同じ靴屋にいて、その時に倒れた店員を一緒に助けたあと、
20年近くたって難病の娘の父と、娘が入院した病院に勤務する医者として、再会します。

しかし二人の繋がりは前前世では反目しあう父と子なのです。

記憶をよみがえらせるたびにつぎつぎに別の人格になるのですが、
別の人間に変わるのではなく、
次第にすべての繋がりの中で一個のアイデンティティーをもつ「自分」がたちあらわれてくるのです。

そして、物語は中盤で劇的に展開しはじめます。
父と子だったふたりは、ロッククライミング中の事故で父が滑落し、息子がすぐに救助を呼ばなかったために父は滑落現場で亡くなったのでした。

父の人格になった大杉さんは真相を知って「お前が見殺しにしたせいで俺は死んだのか」と怒りを爆発させます。

息子の人格になっている蔵之介さんは
「父さんは最後まで俺を認めなかった。俺が生きている価値を認めなかった」と叫ぶのです。

観ていて心臓が苦しくて、
父と子の互いを認め合わない深い淵、遠い隔たりを想像すると、
呼吸が苦しくなって心臓が痛かった。

見に来たことを後悔しかけたほど重いシーン。
だって、もう前世が終わっている二人にはその人格としての和解さえあり得ないのです。
生きているときに誤解し合った思いはそのまま永遠に解消されない。その重さに心が倒されてしまいそうでした。

けれども二人は記憶をよみがえらせて「自分」になる作業をつづけてゆく。
そして、前世の記憶をさらに明らかにしたときに、医者の人格になった蔵之介さんは「僕がいた意味」をしるのです。
若い救急医自身が難病の娘と同じ型の骨髄液の持ち主だった。彼がドナーになって娘の治療は成功していた。しかし、父は誰がドナーであったかを知らないまま人生をおえていた。
これを知ったときの漣さんが抜群に良かった。安っぽい感謝はない。かつて父として息子に裏切られた思いを消し去ることはできない。別の人格と別の感情をどちらも胸に抱いたまま、「つながっている自分」が「つながっている相手」と了解しあうのです。

息のあった二人の役者。その息づかいをナマで感じるだけでも舞台の醍醐味充分でした。
人格がするっと変わるときの絶妙な表現。
次第に立ち現れてくるニュートラルな「自分」。
劇的に爆発する感情とおだやかな了解。

佐々木蔵之介さんはテレビより舞台のほうが長身が映えてかっこよいですね。
大杉漣さんは映像も悪くないけど舞台でもその巧さを堪能できます。

人は必ずつながっているから、人を大切にしていようよ。
というシンプルなメッセージに心が温かくなりました。

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あっぱれ菊の怖すぎる玉手姫・・・十二月大歌舞伎「摂州合邦辻」

2010年12月22日 日生劇場 11時

歌舞伎座改築中で日生劇場での大歌舞伎。
歌舞伎座よりも横が短い劇場でどうかなと思ったけれど、歌舞伎の雰囲気がぎゅっと締まったように感じられる舞台のしつらえ。
濃い物語のこの演目をより濃密に味わえた。

3年前、初文楽で太夫の声の厚さと人形のはかない美しさに圧倒された「摂州合邦辻」
その後、国立劇場の3階席から籐十郎さんの玉手を見た。30年前に見たかった、玉手はどんなにきれいに動ける女形でも若さがないとむずかしいと思った。若さの勢いが必要と。
その上で、終盤のどろどろしたシーンを人間がやるのは難しいな、とも。玉手の役で人形を人間が越えるのは無理かな、と。

菊之助の玉手は軽すぎるようにも思い、チケットを取っていなかった。ところが、評判が良い。見逃してはいけないかも、と思わせる劇評に、急遽チケットを取り、日生劇場に走る。

まずは結論。
菊之助あっぱれ。玉手は菊の代表作になる。

玉三郎の美しさに見ほれる。だから玉以上の女形はいないと思うし、
亀治郎の巧さにほれぼれして彼の描く女をまた観たいとおもう。
籐十郎さんの政岡の母の情にもうたれた。

そこに、もうひとつ、菊の冷たさが加わりました。

そもそも、怖い話だったのです。
美しい義理の息子俊徳丸に若い後妻玉手姫が道ならぬ片思いをする。
思いが募るあまり、俊徳丸と許嫁朝日姫との結婚を邪魔して俊徳丸を独り占めにするために、顔が崩れ失明する毒を盛る。
ありえない!!!!
家を出た俊徳丸を追って玉手は自分も家を出る。
俊徳丸が許嫁の朝日姫と出会いひっそりと隠れる家を玉手は見つけだす。
それは自分の親合邦の家だった・・・なんでぇ?・・・何かの間違いと気遣う母親に「わたしの望みは俊徳さまと添い遂げること」・・・すさまじい。現代のストーカーもびっくり。

菊って弟キャラでちょっと甘いなあと思っていたけれど、失礼しました。
しのぶお姉さんで怖い女をよく研究なさっていたのでしょうか、女の怖さをあますところなく演じきっていました。

若くてきれいで何不自由ない身分で、親の愛情も夫の優しさも十二分に受けている女が
年下の美しい男に心を狂わせる。

この恋はもともとかなうすべはない、わかっているからこそ、心が狂ってゆく。冷たく狂ってゆく。
菊の玉手はそんな冷え切った情念でした。

俊徳を追って家を出ようとする玉手。それを家老の妻羽曳野がとどめる。冬の庭先で雪が舞い、菊と時蔵が追いつ追われつ、止め抗う姿を見せてくれる。これは文楽にはない美しさと迫力でした。

菊五郎さんの父合邦と東蔵さんの母おとくが暖かくて、親の情をせつなく演じます。
いかん・・・思い出しただけで泣けてくる・・・親はつらい。母が娘の恋に狂った言葉を聞いたときの絶望。これは親になってみないとわからない。

周りの人の充実の芝居の中で、終始、物語の主役としての菊の圧倒的な存在感にうたれっぱなしでした。

最後は、実は玉手の恋は義理ある二人の息子俊徳と妾腹の兄次郎丸のどちらも助けたい一心の狂言。
自分の命を懸けた狂言で、寅の年寅の月寅の刻に生まれた自分の肝を食べさせて俊徳の病は治る、という悲劇と犠牲の物語でおわる。
それはないでしょう、っていうとんでもない話で、昔からこの恋は本心か邪恋か人を悩ませてきたとか。

わたしも、文楽を見て玉手は本当に俊徳を恋してたと思ったし、
籐十郎さんを見て、やっぱ母の愛かなあとおもったけれど、
菊の玉手をみたら、最後はどうでも良くなってしまいました。
親の心を思えば、玉手の心の美しさで物語は終わって欲しいし、この結末もありかな、と。
でも、謎解きよりも、玉手を見る、それがこの作品の一番の味わいだと思えた。

玉手を中途半端に描くとこの物語は破綻が気になるけれど、
菊之助の玉手は完全だった。
本心であっても狂言であっても、あの冷たく狂った情念の深さは観るものをもだます本物だった。

菊の玉手が脚本を越えたように思う。
菊、あっぱれです。


玉手姫を観て、菊之助なら油地獄の与兵衛ができる、って思った。
今まで想像もしていなかったけれど。
仁さまの与兵衛を海老蔵は継げない。2月に染がやるけれど、こわさはないような気がする。
菊の与兵エ衛・・・ちょっとそそられます。


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