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December 31, 2010

あっぱれ菊の怖すぎる玉手姫・・・十二月大歌舞伎「摂州合邦辻」

2010年12月22日 日生劇場 11時

歌舞伎座改築中で日生劇場での大歌舞伎。
歌舞伎座よりも横が短い劇場でどうかなと思ったけれど、歌舞伎の雰囲気がぎゅっと締まったように感じられる舞台のしつらえ。
濃い物語のこの演目をより濃密に味わえた。

3年前、初文楽で太夫の声の厚さと人形のはかない美しさに圧倒された「摂州合邦辻」
その後、国立劇場の3階席から籐十郎さんの玉手を見た。30年前に見たかった、玉手はどんなにきれいに動ける女形でも若さがないとむずかしいと思った。若さの勢いが必要と。
その上で、終盤のどろどろしたシーンを人間がやるのは難しいな、とも。玉手の役で人形を人間が越えるのは無理かな、と。

菊之助の玉手は軽すぎるようにも思い、チケットを取っていなかった。ところが、評判が良い。見逃してはいけないかも、と思わせる劇評に、急遽チケットを取り、日生劇場に走る。

まずは結論。
菊之助あっぱれ。玉手は菊の代表作になる。

玉三郎の美しさに見ほれる。だから玉以上の女形はいないと思うし、
亀治郎の巧さにほれぼれして彼の描く女をまた観たいとおもう。
籐十郎さんの政岡の母の情にもうたれた。

そこに、もうひとつ、菊の冷たさが加わりました。

そもそも、怖い話だったのです。
美しい義理の息子俊徳丸に若い後妻玉手姫が道ならぬ片思いをする。
思いが募るあまり、俊徳丸と許嫁朝日姫との結婚を邪魔して俊徳丸を独り占めにするために、顔が崩れ失明する毒を盛る。
ありえない!!!!
家を出た俊徳丸を追って玉手は自分も家を出る。
俊徳丸が許嫁の朝日姫と出会いひっそりと隠れる家を玉手は見つけだす。
それは自分の親合邦の家だった・・・なんでぇ?・・・何かの間違いと気遣う母親に「わたしの望みは俊徳さまと添い遂げること」・・・すさまじい。現代のストーカーもびっくり。

菊って弟キャラでちょっと甘いなあと思っていたけれど、失礼しました。
しのぶお姉さんで怖い女をよく研究なさっていたのでしょうか、女の怖さをあますところなく演じきっていました。

若くてきれいで何不自由ない身分で、親の愛情も夫の優しさも十二分に受けている女が
年下の美しい男に心を狂わせる。

この恋はもともとかなうすべはない、わかっているからこそ、心が狂ってゆく。冷たく狂ってゆく。
菊の玉手はそんな冷え切った情念でした。

俊徳を追って家を出ようとする玉手。それを家老の妻羽曳野がとどめる。冬の庭先で雪が舞い、菊と時蔵が追いつ追われつ、止め抗う姿を見せてくれる。これは文楽にはない美しさと迫力でした。

菊五郎さんの父合邦と東蔵さんの母おとくが暖かくて、親の情をせつなく演じます。
いかん・・・思い出しただけで泣けてくる・・・親はつらい。母が娘の恋に狂った言葉を聞いたときの絶望。これは親になってみないとわからない。

周りの人の充実の芝居の中で、終始、物語の主役としての菊の圧倒的な存在感にうたれっぱなしでした。

最後は、実は玉手の恋は義理ある二人の息子俊徳と妾腹の兄次郎丸のどちらも助けたい一心の狂言。
自分の命を懸けた狂言で、寅の年寅の月寅の刻に生まれた自分の肝を食べさせて俊徳の病は治る、という悲劇と犠牲の物語でおわる。
それはないでしょう、っていうとんでもない話で、昔からこの恋は本心か邪恋か人を悩ませてきたとか。

わたしも、文楽を見て玉手は本当に俊徳を恋してたと思ったし、
籐十郎さんを見て、やっぱ母の愛かなあとおもったけれど、
菊の玉手をみたら、最後はどうでも良くなってしまいました。
親の心を思えば、玉手の心の美しさで物語は終わって欲しいし、この結末もありかな、と。
でも、謎解きよりも、玉手を見る、それがこの作品の一番の味わいだと思えた。

玉手を中途半端に描くとこの物語は破綻が気になるけれど、
菊之助の玉手は完全だった。
本心であっても狂言であっても、あの冷たく狂った情念の深さは観るものをもだます本物だった。

菊の玉手が脚本を越えたように思う。
菊、あっぱれです。


玉手姫を観て、菊之助なら油地獄の与兵衛ができる、って思った。
今まで想像もしていなかったけれど。
仁さまの与兵衛を海老蔵は継げない。2月に染がやるけれど、こわさはないような気がする。
菊の与兵エ衛・・・ちょっとそそられます。


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