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March 2011

March 16, 2011

通し狂言 絵本合法衢

2011年 3月8日 国立劇場
開演12:30   終演16:45   4幕

4時間、二役の悪人を演じる仁さまを充分楽しんだのだけど、

う・・・・ん。

私が鶴屋南北の戯曲があんまり好きじゃない。たぶん。

南北は人間の真情よりもホラー作家のように思う。

で、それって、私が見たい仁さまではないのですね。きっと。

人間性の奥深さみたいなものは戯曲になくて、
とにかくただ悪いやつなの。人を殺して自分が良い思いをしたいだけで、
イヤホンガイドで悪の華、って解説されたけど、全然「華」がわかんなくて、自分が人間の心とかありかたのその領域に興味ないのだと思いしった。

ただ、単純に自己中に悪いやつって、理解できなくて。ていうか面白くない・・・。

だから、海老がやったら、さぞかっこいいと思った。彼にはあんなにセリフ覚える役は無理かな。
何も考えていなくて、ただ自己満足に悪いやつで、悪の哀しさとかないの。

海老で見たらスカッとしそう。極悪非道。単純明快。

油地獄の与兵衛とは全然ちがう。
珍しいな。初めてだな。海老で見てみたい、って思ったのは。


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March 06, 2011

コラボレーション

2011年2月26日
本多劇場 加藤健一 福井貴一 加藤忍 塩田朋子  加藤義宗

1931年から1945年までのドイツ。

ドイツを代表するリヒャルトシュトラウスとユダヤ人作家ツヴァイクの友情、芸術への熱情、信頼と喪失。

カトケンの演技は緩急あり、笑いとペーソスもあり、悲しみと苦悩も表現されて盤石。
福井貴一さん、加藤忍さんも不安にもがき、友と離れてゆく姿が良かった。
一番光っていたのは塩田朋子さんの妻かも。それから、加藤義宗くんのナチス宣伝省ヒンケル、憎らしい冷たさが若いながら舞台を引き締めていた。

演技陣は安定し、舞台装置も心地よく、演劇らしい演劇だった。

観客席はほとんど中高年層。この世代の人々の純真さの上に立つ世界観。

権力の前で人はどう生きるのか。良心をどう守るのか。守れるのか。
それは、社会的なメッセージを込めた良質な演劇だと思う。

見終わってまず心に浮かんだのは、

     加藤健一さんは演劇界の良心をしょってたっている。その姿を見た。という思いだった。
    

ただ、見終わってそう思う一方で、見ている間中、わたしは、舞台の世界観に入れなかった。


このごろわたしは、
20世紀前半にヒトラーが引き起こしたユダヤ人の悲劇に普遍性を感じることができなくなりつつある。

この手の話はもうお腹いっぱい、という、飽和感もある。
しかし、それ以上に、彼らがあの受難を自己の行為のすべての正当化に利用しつくして
自らの心を見る良心を自らの姿を見ない怠惰にすりかえてきたこの60年間に、
その欺瞞に嫌悪を覚える。

ユダヤ人が受けた受難をもって、自由が圧殺され、良心が苦しむ姿を表現し、
それで、現代の見えにくい閉塞をうち破ろうとすることを
非とするわけではない。
差別される側でなく、その傍らにいて結局差別する側にくくられる悲劇をくりかえしてはならないという、
それは本当に正しいメッセージだと思う。
そういう主張は今時代遅れと受け取られているし、それでもなお純真な良心の主張をあえてする姿に
商業演劇界で唯一残っている良心と思う。

だけど、

だからこそ、違うと思った。もう一歩先へ、と思った。

リヒャルトシュトラウスはヒトラー政権にドイツ人の優秀さを表現している音楽と評価されていた。
彼は芸術家としてツヴァイクと共感し、音楽を表現していたいだけなのに、彼の音楽からツヴァイクを切り離さなくてはならなくなった。政治の力で。
音楽局総裁の地位について、ヒトラー政権のために音楽活動を続けたゆえに、戦後、逆にそれをナチへの協力だ責められる。それは大きなテーブルの上に生きる小さな人の営みに起きた不幸だった。

それはね、今でもおきている。

自らの音楽を利用された音楽家の苦悩。

それは、
あの受難を利用されている現在のユダヤ人の苦悩と
重ねるべきだ。

自らの音楽を続け家族の安全を守るために、友を脅かす巨大な権力にくくられてゆく悲劇。

それは、
パレスチナの人を殺すイスラエル政府の行為をあの悲劇を思い出すことで正当化しているユダヤ人の
良心の喪失という悲劇と重ねるべきだ。

この脚本でそこまで要求するのは無理なのだろうか。
解釈の方向を持てば、可能なのではないか。加藤健一さんなら。

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March 05, 2011

文楽 菅原伝授手習鑑 3段目 桜丸切腹の段

2011年 2月 19日
国立劇場

文楽と歌舞伎とつなげてきてやっと、菅原伝授の壮大なストーリーが完成に近づいてきました。

歌舞伎であまりにもポピュラーな寺子屋。
けれどもあのお話しが幾重にも重なった悲劇の物語の一重でありました。
それを知ったのは昨年の歌舞伎座さよなら公演で見た仁さまの筆法伝授と道明寺。

去年、寺子屋にはあらわれない影の菅公の悲劇を知りました。
今回の3段目桜丸切腹の段で寺子屋の表の主人公松王丸の悲劇の意味を知りました。

この壮大な戯曲を、いくら分かりやすいからといって、菅公の悲痛も3兄弟の父の慟哭もなしで松王丸の犠牲だけを描くのは、いかんと思う!

おねがいだから、全段やってくれ~!!!!!

シェークスピアをやるんだから、近松の方がシェークスピアよりずーーーーーっと日本人には簡単だよ。

身分の低い父が菅公の恩を受けて息子3人の出世を受ける。朝廷の牛の御者となった桜丸、時平に仕えた松王丸、菅公に仕えた梅王丸。3人の兄弟は対立する権力の争いに巻き込まれて兄弟が相争う立場になる。

その悲劇の中心は菅公。権力を握るために菅公を追い落とす謀略をはりめぐらした時平。菅公の娘は自信の恋によって菅公没落の種を作ってしまった。

そして、菅公の一子菅秀才の命を守るために犠牲として差し出されたもうひとつの息子の命。

住太夫さんの3段目、切、桜丸切腹の段。50分を超える段をひとりで演じきる。
何人もの登場人物を住太夫さんが完璧に演じ分けてくれたので、悲劇の物語がとっても良く分かった。


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花形歌舞伎 油地獄

2011年 2月 18日 金曜 18:30
テアトル銀座

第1部を3日に見ている花形歌舞伎。
テアトル銀座のロビーから座席に入るエスカレーターに、紅と白の餅飾りがさがり、賑わいが華やぐ。
座席はほぼ満席。
横の揚げ幕に入る短い花道を正面から見られる13列通路横。

で、油地獄です。

仁さまの油地獄。

それは誰も継げないのかも知れない。それでも、誰かが、油地獄を継いでゆく。

誰かが継ぐとしたら、染なのかしら。(謹慎中のあの人は3年前に実質自分から辞退してくれていてありがたし)

去年の玉手を見て以来、菊の与兵衛を見てみたいと思いつつ。
今回は殺されるお吉の亀が楽しみでもあり。

最初の土手の場面、若干の演出の違いはあるものの、仁さまの与兵衛を思わせる上方和事に染が良く馴染んでいる。喧嘩の場面は、若さが体の動きのキレになっていて、仁さまも20、30代の時に見たかった・・とさえ思わせる上々のスタート。
亀のお吉は、殺しの場面から逆算した芝居。ご近所のお姉さんがしょーもないご近所の坊やの面倒見ながら、やれやれ・・・これで旦那様に怒られるのでは割に合わぬ、と。上手い。ここでもう、殺しの場面につながるもの。

与兵衛の家、油問屋の場。
気が弱いからこその嘘つき、義理の父の遠慮を利用したその場限りの甘え、軽薄で自分だけが可愛くて、
いるいる、こういうしょうもない坊や・・・染が余すところなく演じる。
父(義父)の思いも母の思いも妹の思いも空回り、馬鹿息子に届かない。
ほんとうに、今その辺でいくらでもある家庭内の出来事なのです。

仁さまの油地獄よりも、一昨年の未来くんの油地獄(ネジと紙幣)を思い出させます。
「今」がより強く出るのは、染が「今の社会」を自分自身体験している世代だから?

そして、殺しの場面。

亀のお吉は与兵衛を「今の人間の殺人」に向かわせる巧さがありました。
染も亀もまさに今の人間なのです。
私の目の前で起きた殺しは、今時の、他人なんかどうでも良い馬鹿子どもが犯した、残酷で情けない殺人。
殺されるお吉にも殺した与兵衛にも、やりきれなさだけが残る。

だから、仁さまの油地獄にはなかった後の場面まであって、戯曲として完成する。
与兵衛が借金を返して、お吉の葬式にチャラオの若旦那で現れ、そこで悪事が露見してつかまる。
歌舞伎座の花道がないので客席中央の通路に現れたチャラオの染。
今を体現する与兵衛の軽いイケメンのノリに客席はおおいに湧きます。
それが一転して縄になる。つながれた染の与兵衛が花道をこちらに向かって歩き、止まったときに、
染の与兵衛ができていました。

哀しさではなく、情けないにんげんのあわれな姿。
そのあわれさを受け入れず、虚勢を張り続けてかろうじて自分でいる姿。

近松のもともとの戯曲はここまであったそうです。
戯曲としてはここまであって完成。それがよくわかりました。
どうしようもない馬鹿で、自分だけがかわいいお金持ちのぼんぼん。こんなやつが江戸時代にもたくさんいたことでしょう。
まっとうに生きている人間は腹立たしくうんざりしていたことでしょう。

だからこそ、近松のこの戯曲は現代にも通じるのです。

けれども、
仁さまの油は、全く違う。

染の油地獄が予想よりも楽しめたからかえって、

仁さまの油地獄が特別なのだと思い知りました。

1年半前に見た仁さまの殺しが今でも目の前に現れます。
あんなに悪いやつなのに、見ている私は与兵衛がかわいそうでかわいそうでならなかった。

お吉に金を無心するためならいっそ不義を・・とねだるぬめっとした顔、
油まみれになって女の首をしめる恍惚の目。

それが、美しいって、いったい何なのよ。心に残って忘れられないって、仁さまって、一体、なに?

芝居ではなかった。
本当に人を殺すってこんなにも怖ろしく、間違えば美しい・・・その場面に遭遇してしまって息もできなかった・・・それが仁さまの油地獄だった。

今回の公演で、染の油地獄が戯曲のもともとの姿なのだ思いました。
戯曲にこれからもつがれてゆく作品の力を改めて感じました。

でも、
心に残った一番大きな思いは、

仁さまの油を見ておけた幸せ、だったのでした。

あれは、特別なものだったのですね。
殺しの場面、与兵衛が家の外に出て野犬の声を聞く・・・・そこで終わるあの油地獄が
特異な特別な作品だったのだと、今回の公演ではじめて知ったのでした。

心の中にいる親やお吉の声をに震える、あの与兵衛は

誰の中にもいる・・・。
たいていはそれを出さずに人生を終えられるのだけれど・・・。

見ている者が、それを、あの殺しの場面で知る。仁さまの与兵衛で。

仁さまは天才なのだと、

つくづく思い知ったのでした。

染、ごめんね。結局、先人のすばらしさに行ってしまって。でも、それが、歌舞伎という道のかけがえのない力だと思うの。

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