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March 06, 2011

コラボレーション

2011年2月26日
本多劇場 加藤健一 福井貴一 加藤忍 塩田朋子  加藤義宗

1931年から1945年までのドイツ。

ドイツを代表するリヒャルトシュトラウスとユダヤ人作家ツヴァイクの友情、芸術への熱情、信頼と喪失。

カトケンの演技は緩急あり、笑いとペーソスもあり、悲しみと苦悩も表現されて盤石。
福井貴一さん、加藤忍さんも不安にもがき、友と離れてゆく姿が良かった。
一番光っていたのは塩田朋子さんの妻かも。それから、加藤義宗くんのナチス宣伝省ヒンケル、憎らしい冷たさが若いながら舞台を引き締めていた。

演技陣は安定し、舞台装置も心地よく、演劇らしい演劇だった。

観客席はほとんど中高年層。この世代の人々の純真さの上に立つ世界観。

権力の前で人はどう生きるのか。良心をどう守るのか。守れるのか。
それは、社会的なメッセージを込めた良質な演劇だと思う。

見終わってまず心に浮かんだのは、

     加藤健一さんは演劇界の良心をしょってたっている。その姿を見た。という思いだった。
    

ただ、見終わってそう思う一方で、見ている間中、わたしは、舞台の世界観に入れなかった。


このごろわたしは、
20世紀前半にヒトラーが引き起こしたユダヤ人の悲劇に普遍性を感じることができなくなりつつある。

この手の話はもうお腹いっぱい、という、飽和感もある。
しかし、それ以上に、彼らがあの受難を自己の行為のすべての正当化に利用しつくして
自らの心を見る良心を自らの姿を見ない怠惰にすりかえてきたこの60年間に、
その欺瞞に嫌悪を覚える。

ユダヤ人が受けた受難をもって、自由が圧殺され、良心が苦しむ姿を表現し、
それで、現代の見えにくい閉塞をうち破ろうとすることを
非とするわけではない。
差別される側でなく、その傍らにいて結局差別する側にくくられる悲劇をくりかえしてはならないという、
それは本当に正しいメッセージだと思う。
そういう主張は今時代遅れと受け取られているし、それでもなお純真な良心の主張をあえてする姿に
商業演劇界で唯一残っている良心と思う。

だけど、

だからこそ、違うと思った。もう一歩先へ、と思った。

リヒャルトシュトラウスはヒトラー政権にドイツ人の優秀さを表現している音楽と評価されていた。
彼は芸術家としてツヴァイクと共感し、音楽を表現していたいだけなのに、彼の音楽からツヴァイクを切り離さなくてはならなくなった。政治の力で。
音楽局総裁の地位について、ヒトラー政権のために音楽活動を続けたゆえに、戦後、逆にそれをナチへの協力だ責められる。それは大きなテーブルの上に生きる小さな人の営みに起きた不幸だった。

それはね、今でもおきている。

自らの音楽を利用された音楽家の苦悩。

それは、
あの受難を利用されている現在のユダヤ人の苦悩と
重ねるべきだ。

自らの音楽を続け家族の安全を守るために、友を脅かす巨大な権力にくくられてゆく悲劇。

それは、
パレスチナの人を殺すイスラエル政府の行為をあの悲劇を思い出すことで正当化しているユダヤ人の
良心の喪失という悲劇と重ねるべきだ。

この脚本でそこまで要求するのは無理なのだろうか。
解釈の方向を持てば、可能なのではないか。加藤健一さんなら。

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Comments

ホロコーストで自己正当化と。
お腹いっぱいと。
あなたのような人がもう一度ツヴァイクを殺すのですね。
善人ぶった反ユダヤ主義者よ。

Posted by: k | March 06, 2011 at 09:00 PM

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