記憶のために

October 11, 2011

當世流小栗判官

芸術祭十月花形歌舞伎

新橋演舞場 2011年10月11日 夜の部 4時半から8時40分 3幕の通し狂言

亀治郎が来春猿之助を襲名するとのニュース。
合わせて香川照之さんが市川中車、歌舞伎の世界に入る決断。

応援したい。亀は重いものを背負う覚悟を、香川さんは自分をさらす覚悟をしているのだと思うから。

猿之助さんが得意とした演目を初めて亀治郎が演じる。
一幕目は小栗判官の荒馬馴らし、二幕目は浪七の壮絶な死、三幕目は判官とお駒の早変わりと天馬宙乗り。

なるほど、猿之助さんのスーパー歌舞伎が一生を風靡したことに納得しました。
早変わり、宙乗り、大勢の殺陣や群舞もスピード感があるし、雪の舞う美しさ、どんと雪が落ちてきたときはびっくり、これは蜷川さんを超えている!

お客さんを驚かせ、楽しませるために、衣装がある踊りがある。宙も飛ぶし、落ちてくる吹雪も流れる血も半端じゃない。

席が良かったのか悪かったのか。花道の、役者が必ず止まって演技するすっぽんの横。
手を伸ばせば亀治郎に触ってしまいそう。これがかぶりつきっていうやつか。

で、圧倒される音量の声、飛び散る汗、腰の入った揺るがない足、腰、指にまで、どこにもいい加減なゆるみがない。

近さに圧倒される席だった。

例えば仁さまの弁慶や吉田屋をこの席で見られたらどんなに幸せだったでしょう・・・・
しかし・・・今日の演目では、ちょいとトホホだったなぁ。
なにしろ、馬の中身の人の手が見えちゃうし、天馬の宙乗りは真下からでは馬の腹しか見えないし、きっと天馬にのった亀治郎はあっぱれだったのだろなぁ(見えなかった)・・・エンターテイメントショーは裏の仕掛けが見えるのは興ざめなんだなぁ。

猿之助さんのスーパー歌舞伎はショーなのね。
演出を凝りに凝ってお客線を虜にする娯楽ショー。
それはね、今では新感線が得意中の得意にしている分野。

で、思ったの。15000円でどちらのチケットを買うだろう、と。

ショーとしてみたとき、殺陣のスピード感、照明の美しさ、笑わせる力は新感線でしょう。

今、かつてのスーパー歌舞伎をそのままなぞっても、新感線に勝てないかもしれない。

でも、亀治郎は新感線が近づけない境地をもっている。
鬼揃紅葉狩のあの踊り、じゃじゃ馬馴らしの婉然たるパワー、吃又で見せた心の凝縮。

ただ、それが、猿之助さんのスーパー歌舞伎とは違う個性なのだと今日はすごく感じました。

猿之助を継ぐことが亀治郎の世界を封じてしまうのであれば、それは困る。

芸を継ぐって・・・なんて難しいことなんだろう。
凡庸であれば型をなぞれば良い。でも、別の方向にとんがっている才能だとしたら、
型を受けてなお、自分の形を生み出す。それは想像を絶する道のりなのだろうと、思う。

5年後か・・・10年後か・・・。楽しみに待とうと思う。

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October 10, 2011

髑髏城の七人 新感線

青山劇場。

メタルマクベスで初めて新感線を見たのは、当日券2時間半並びでゲットした席でした。
あれから新感線はますます売れに売れて、とうとう当日券さえ前売り予約(前売りする当日券ってなぁ)が開始と同時にソルドアウト、あとは当日1時間前に抽選でわずかに出す当日券。
これでは、チケットが手に入らない!

たまたまおけぴで譲りますの投稿を投稿3分後にキャッチしてようやく見に行けました。
2階A席3列目のセンターブロックは、むしろ1階のサイドより見やすく、ラッキーでした!

さて。

未来くんの悪役と、早乙女くんとの二人の殺陣を見に行き、
それはもう息を止めて見入るほど堪能したのだけれども・・・・。

作品としては・・・・新感線らしくお客さんをたっぷり楽しませてくれていたのですが・・・。

短刀直入に言えば、主演の小栗旬くんが私には駄目でした。

カリギュラ、武蔵ときて、ますますご機嫌のよい役で、殺陣も評判で言われていたよりは悪くなかったのだけれど・・・。

新感線の大音量、マイクを通す役者の声、1拍めだけを強調する小栗くんの発声、
小栗旬の捨之助の相手役サギリの中里依沙さんのつぶれてかすれた声は正直お金払っているお客さんに聞かせてはいけないレベルで、

声がだめなせいか、聞いていて不快感がつのり、話に入り込めない。
そのうえ、せっかくすらりとして形の良いはずの主人公が
着物のはらいかたのきたなさ、しょっちゅう見せるからにはたぶんウリの太腿も歩くとがに股で・・・・。う・・・・ん。

かっこいいはずだと自分に言い聞かせて見たのだけれど・・・・。

未来くんも早乙女くんも二人の良さを殺しているような重い衣装で、残念だった。

殺陣はね、すごかったよ。特に二人が絡むシーン。早乙女くんが蝶のように舞い、未来くんが蜂のように刺す。

だけどなぁ・・・同じチャンバラ三昧の蛮幽鬼ではあれほど興奮したのになぁ。

なんでだろう。と、後半はそればかりを考えました。蛮幽鬼は上川さんと堺雅人さんのふたりのうまさが芝居をぐいぐいひっぱていったのか。小栗くん、未来くん、勝池くん、若さだけではかばーできなかったのか。


未来くんの天魔王と小栗くんの捨之助の二役を染五郎が演じたらしく。
そこにあったであろう二面の人間の葛藤が、二人の役を二人で演じる単純さで、善悪も単純化してしまったのが、もしかしたら、かなり大きなおもしろさを欠いた要素かもしれない。
単純に分かりやすくすることで人の心の複雑さが消えて、深さが失われたのでは・・・。

右近さんや、千葉哲也さんも、蛮幽鬼のほうがはるかに面白い造形だったもの。

そんなこんなで、
新感線らしい派手な舞台を見つつ、
小栗くんが「動かないスチール画なら、きれいなのに・・」というところはあの人と共通している、
と発見した夜でありました。

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現代能楽集Ⅵ 奇っ怪 その弐 

2011年 8月20日
世田谷パブリックシアター
もともと見ようと思っていた作品を演劇部の引率で観劇。ゆえに、3階上手B席。

その席は世パブに最初に訪れた思い出のある3階席のちょうど向かいあたりでした。
観劇生活の始まり「リチャード3世」。江守さんをのぞき込んだ3階席の。
思えば芝居を見始めてもうすぐまる8年ですね。たくさん見ました。
見逃してしまった作品もきっとたくさんある。そして、もう一度見たい作品の数々も思う。


昨年末「抜け穴」以来マイブームの前川武大さん脚本、前川さんと世パブとのコラボレーションとあっては、見逃してはいけません。面白くないはずがない。

舞台は、簡にして要。シンプルイズビューティフル。

奥行きのある世パブの空間に奥に長い床板。ところどころに穴があきそこから人物が現れる。

大きな惨事(水素ガスの噴出)がおきて住民が死んでしまったらしい土地に廃屋の神社。
そこに住み着いているらしい男。中村トオル。
何年ぶりかで訪れた神主の息子。山内圭哉。
そこに再開発会社の二人が神社にやってくる。

この二人とホームレス風の男が次々に語る死者と生者のこと。彼らが劇中劇になって観客の前に現れる。

息子を事故で亡くした母やリンチを目撃して通り過ぎてしまった男や鬱病の妻が自殺してニセ精神科医になりすまして自殺未遂をした男。息子や見殺しにした人間や妻の死を受け入れられないまま病んでいる人々。

そして、合間に
ふぅっと現れては消えてゆく黒い人影。かれらの奇妙な動作。

やがて、神社の息子にホームレス風の男が語り始める。
村に事故が起きた日。祭りの準備をしながら村を売り出す夢を語り合う男たち、女たち。
おぜんを出し、挨拶を交わし、酒をつぎ、立ち働く・・・それは黒い影たちの奇妙な動作・・・とおなじだった。

祭りの支度をしている村に再開発会社の社員が現れる。
死者のことを語った彼らもまた、惨事で死んでいた者たちだったのか。


そして、神主の息子だけが生者として、立ちつくして。

深い大きいとほうもないブラックホールのような余韻を残して、劇は終わった。

どう想像してもかまわない。
ただ、忘れるな、忘れるな、忘れるな。耳を傾けて聞け。彼らの声を。


そうか、3・11を前川さんはこう受け止めたのか。

死んでしまった者たちが語り残した声に耳を傾けよ、と。
彼らの声をきくことが、生き残った者のするべき弔いだ、と。

生きていることは、
想うことだ。声を想うことだ。簡単には聞こえない声を心して聞くことだ。

死んだ人間の声、声を出せない人間の声、人間でない者たちの声を。

心して聞くことだ、と。

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滝沢家の内乱

加藤研一プロデュース100本記念作品

2011年7月16日。本多劇場。

華やかなベッジ・パードンの後に、じっくりと人に向かい合って揺るがないカトケンを見た。

「八犬伝」を書いた滝沢馬琴の家庭の事情。失明したあと、息子と死別した嫁が馬琴の語りを口述筆記して「八犬伝」を完成させた。その二人の間にあったもの。

カトケンは安心して見られる。信頼して見て、裏切られない。

滝沢馬琴は世間的には成功している戯作者であっても、
本人には忸怩たる思いがあり、人に言えない家庭の事情がある。
精神も肉体も病んで馬琴を理解できない妻と、母に過剰に守られて父の強さについてゆけない病弱な息子と。
それは馬琴自身の仕事がうんだ家族の犠牲だったのかもしれない。馬琴はその思いも抱えて、仕事をし続ける。
世間にとって馬琴がするべき仕事をし続ける。

嫁もまた偉大な作家の舅と何の家事もしない姑とほとんど引きこもり状態になっている夫の下で、彼女が滝沢家にとってするべき仕事をし続ける。

そのふたりが、いつしか同志になってゆくのは当然だ。
ふたりはともに、闘っているのだから。同じ家の中で。同じ屋根の下で。

そして、最後に病魔が馬琴から視力を失うと、嫁は舅の作家としての仕事の同志に昇格してゆく。

二人は共に闘い、
仕事を完成させて、
馬琴が家族の事情から逃れる唯一の場所だった屋根の上に、嫁もまたあがって、二人で並んで座る。

良いシーンだった。馬琴の姿とカトケンの姿が重なった。


人物は二人だけ。脚本では妻や息子も登場するのだが、カトケンが二人だけの濃密な芝居に作り替えたのだという。補いきれないところは高畠淳子さんと風間杜夫さんが声で出演。

ただ、声だけが流れるのは、生身の人間の芝居を見ている感覚がとぎれて興がそがれる面もある。
男性と女性を演じられる役者さんをつかってひとり二役やらせてもおもしろかったのではないかな。


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アパッチ砦の攻防

なんでこの題名なのかは、ついにわからずっ・・・てか、つまり、アパッチ砦なのよね。家はおとこの城、砦なのよね。

2011年9月26日 ソワレ
紀伊国屋ホール

今年4作目の三谷作品。ただし、これは佐藤B作さんのボードヴィルショーのために昔書いて、何度も再演されているコメディです。

三谷さんのコメディは楽しい。
登場人物がちょっと悪いやつで、駄目なやつで、間抜けな失敗をこれでもかこれでもかってして、それでもちっとも反省しないで、・・・・こっちがわで笑っていられるぶんにはホント楽しい。

(じぶんの周りにこんなやつがいたら、絶対いやだしあり得ないけどね。
そう思ってしまう私が狭量なんだなぁ。でもなぁ、たいてい尻拭い役がまわってくるからなぁ)

角野卓三さん扮する男が、ほんとにそう思っているわけです。B作さん扮する主人公に振り回されて、尻拭いまでさせられて、あげくには自分の妻から離婚を言い出されちゃって。

ぽんぽん出るセリフの応酬も小気味よく。役者さんは大変だけど楽しいだろうなぁ。あり得ないシチュエーションを観客の目の前に作り出す腕、技、きっと膨大な練習量。

堪能しました。

演劇に「思わず流れる涙」を求めてしまう私には、底にも最後に素敵なプレゼント。
B作さんは「自分は福島の出身です。どうぞ、帰りに出口で募金箱を持って寂しそうに立っている女の子に大人の気持ちを」と。

千円札を入れて、嬉しそうな感謝をお持ち帰りしました。


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ベッジ・パードン

2011年 7月5日 世田谷パブリックシアター

今年3本目の三谷作品。新作。

1年に3本の新作ですね。凄い才能です。しかも、どれも良くできている。

役者もよく揃えて。無論、役者さんも彼の作品に出たいでしょう。断られる心配もないし、チケットは完売間違いないから興行的にも成功は約束されているし。

で、萬斎さんがロンドン留学中の森鴎外。
神経症で誇り高くホームシックで誠実であろうとする。
深津絵里さんがエリスのモデルになったらしきベッジ。
深津さんのコメディエンヌぶりがお茶目でかわいく。
三谷さんの仕掛けは、この二人をヒギンズ教授とイライザにも重ねる。
さらに芸達者の浅野さんがひとりで6役でお客さんを笑わせる。
鴎外の友人の大泉洋はただの良い友人ではなさそうだ。

で、面白かったのだけど、

う・・・ん、このメンバーでこの作品は彼らにとってまさに「役不足」だったのでは。

もっと、軽いのりの役者の方が良かったのではないかしら。

三谷さんが大作家になりすぎちゃったんだなぁ・・・だからこのメンバーだったんだよね・・・

う・・・・ん。

超高級素材の伊勢エビやらアワビやら前沢牛やらが
ラーメンになっても、あかんのではないやろか。
高級素材には高級素材の味わい方があり、ラーメンにはラーメンの奥深さが別にあると思ったのでした。

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盟三五大切

2011年6月23日 木曜 18:30から途中20分休憩をはさみ21:40終演

コクーン歌舞伎。上手サイドの席で見やすく。

満足。予想外の充実。面白かった。きれいだった。おしゃれだった。最高のサプライズだった。

仁さまで同じ作品を見て、暗くて壮絶なはなしで・・・ちょっと苦手なはなしだな、と思っていた。
だから、あまり期待していなかった。去年玉手姫を演じて、怖い中に美しく素晴らしかった菊を見に行きました。

ところが、期待をしていなかったのがよかったのかしら。楽しかった。これは歌舞伎座の歌舞伎より歌舞伎の楽しさを満載していたのでは。

まず、串田さんの演出がすばらしい。上手舞台の前にしつらえたボックスの中にナマのチェロ。
単色のチェロの音が引き出す人間の深い心情。作品に上品さを与えてあまりある効果だった。
仁さまの油地獄の三味線を思い出した。あの緊張感を醸し出す三味線の音に匹敵する。単色ゆえの音色の表情。

役者も良かった。

勘太郎の三五郎のかろみの中のずるさ。
三五郎に身も心もゆだねながら五兵衛をだます菊のかわいらしいとまどい。

そして、橋之助さん。きれいでした。だまされてそれでもなお小万を求める。
凄絶な殺しの後、逃げたあばら屋で、
殺して落とした愛する女の首をまえに置いて、
その首の前で茶碗に盛ったご飯を食べるのです。

ただ、椀に盛った白いご飯をはしで口にはこぶのです。殺した女の顔を見て。

あの五兵衛が、忘れられない。哀れで哀れで。

女にだまされ、大事を果たせず、まお未練がましく女の首と座り飯を食う。
あんな、情けない男、私はは少しも好みでないのに、涙がつうつう落ちちゃったよ。

歌舞伎はこうだったはず。
おしゃれな光、音、衣装、殺陣と色気、人間。

これが歌舞伎だよ。
と、つくづく思い、
そして、最後にサプライズ!!
勘三郎さん、由良之助の姿で登場。病気で3月から療養中の勘三郎さん。
歌舞伎への愛が立ち姿からほとばしっていました。

楽しかったなぁ。ありがとうございました。

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ウェアハウス

2011年10月9日 シアタートラム

スズカツ&橋爪功

「レインマン」が心に残る作品でした。その後、篠井さんとの作品があまり好みでなく、しばらくスズカツはお休み・・・・3年ぶりでしょうか、「レインマン」と同じ橋爪さんの芝居に期待して見てきました。

お話しは、取り壊される予定の教会に集まる暗唱サークル。暗唱サークルのメンバー、エトウに突然英語で話しかけてきた正体不明の初老の男、オリベ。強引に話しかけてくるオリベのペースにはまって行くエトウ。

舞台装置はいたってシンプルでシアタートラムの低い床、中央に大きな四角い回転する台。

暗唱サークルに参加しているメンバーのだれもがふつうのひとよりも0.5ミリくらい現代とずれている(全共闘っぽい)濃い感じ。

橋爪功さんのオリベ。妙に人なつこい?しかしあからさまに怪しい。免許証をちょっと見ただけで住所も生年月日も覚えてしまう?もちろん明らかに怪しい。ホームレス?アスペルガー系の病気?なにかのスパイとか、探偵とか?前川さんの本なら異世界のひとなのだけど・・・

演劇的実験とか不条理劇とかかなぁ、苦手かもしれない・・・

なんとなく居心地の悪さを感じながら劇はどんどん進んでゆく。


オリベがつくる妙な穴にはまって自分を明かしてゆくエトウ。
オリベの「やってみたら」にのっかっていままで披露できなかった長編詩「吠える」を暗唱の練習を始める・・・。

暗転のあと照明を浴びてエトウはサークルのメンバーの前で暗唱をしている。「彼とともにいるのは私だ」というフレーズを何度も何度も、伴走の言葉を替えて「吠え」て。客席に向かって一歩ずつ前へ出てゆく。腹の底から吠えている。詩人の咆哮とエトウが一体になっている。

暗唱がおわる。やった。彼はやりたかったことをやった。

居心地の悪さは消え心地よい興奮に満たされる。

メンバーの称賛を浴び、再びオリベとエトウは二人きりになっている。
エトウのお気に入りのジャケットをちゃっかり着込んだオリベが「自分のはなし」をはじめるが・・・それは彼が現在住むぼろアパートの隣人の貧困な生活の様子であり、妻との離婚であり・・・

薄汚く暗く不快な他人の不幸。

人の善いエトウの本音が露わになって行く。何なんだ、これは。自分がはまってしまったこの状況は何なんだ。

もう聞きたくない、エトウが初めて遠慮をすてる。相手に本音を言う行為。それを彼は今までしてきたか。    否。

オリベはエトウを離さない。逃がさない。うるさい犬をナイフで刺し殺し、そのナイフがエトウに向けられる。
「私を殺してください」と言えと。
殺されたくない。殺されたくない。死にたくない。

エトウはナイフを奪う。もみ合う。エトウは握ったナイフをオリベに向ける。相手に向かう行為。それを彼はしてきたか。   
否。

そして、オリベはエトウの前に立ちふさがる。エトウが構えたナイフにむかって両手を広げまっすぐ自分の体を重ねる。

暗転。再び暗唱サークル。
金田明夫さんの暗唱が遠いところで聞こえていた。「私と犬はともにいたが、犬こそが私を愛していたのだ、私が犬を愛していたのではなく」そんな言葉だったかな。オリベが一体何者だったのか、そんなことはどうでもよいことだった。
オリベはエトウにとって誰か、ではなく、彼に起きた何かだった。

芝居が終わって劇場が暗くなってもしばらく客席はとまどいの静けさをまとっていた。
わたし一人でも、立って、拍手すれば良かったな。だって、ほかに続くことはない。

未来くんの「変身」を思い出していた。同じ爽快感。深い読後感。
あぁ、だからこれは不条理劇なのだ、と深く思った。

終わって、すべて終わって、そこから始まる。新しい地平が始まる。
それは演劇の力だ。
言っていることはどちらも単純なたったひとつのことでしかない。

人生には不条理なことが起きるのだ、と。

人にそれが起きたとき、人はそれを受けるしかないのだ、と。

このようにして、「出来事」は人におきるのだ。
合理的な理由など無い。勧善懲悪など関係ない。条理など無い。

おもえば、昨年の「変身」からこの作品を見るまでに
たくさんの不条理を私は知ったよ。
体の一部の喪失、古い友人の死、暖かい家庭感情の喪失、心地よい仕事場の喪失、3・11、
リベラルのなれの果てたち。

そのどれにも後戻りはなく、回避もなく、魔法のランプもない。

体を張って膨大なセリフを言ってゆく姿をさらして潔かった金田明夫さんに、拍手を。
指の先で転がすように相手の感情をひきぬきつきさしなでまわる橋爪功さんに、賞賛を。

そして、人は不条理にあってなお新たな地平に行く、この事実を演劇化したスズカツに感謝。

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June 26, 2011

2011年6月21日 ソワレ 新国立劇場

新小岩から総武線快速馬喰町のりかえ初台まで、意外に早かった。

作 井上ひさし 彼の初期の作品でウィーンに留学中になかばノイローゼになっていたときに一気に書き上げたと言われている。
 
演出 栗山民也 初演以来ずっと続いてきた木村光一さんの演出から作家自身の指名で栗山さんの演出へ。

主役の徳に亀治郎、女房おたかに永作博美

亀治郎、まってました!
と声をかけたいような気分で劇場へ。

新国立の前の座席を5列分はずして舞台に奥行きをつくり真ん中の回り舞台のうえにおおきな木組み。
これが江戸の橋のたもと。天井から斜めの白い線が平行に降りていて雨を暗示する。
舞台が回れば紅花問屋の座敷が現れる。赤や金、錦の屏風や襖。
体の線、動きに無駄がない亀治郎にあった気持ちの良い美術と舞台装置。

江戸の橋の下で金くず拾いをしている半ば乞食同然の徳(亀治郎)が
東北の紅花問屋の当主喜左衛門にうり二つと知らされて、喜左衛門になりすます。
正体が露見しないように必死に山形の方言を覚える徳。女房おたかにだけは体が違うとばれるのではないかとおびえるが、おたかはみじんも疑いをもたない。

しかし・・・・・これが全部大嘘だった。
最期のどんでん返し。
当主喜左衛門が切腹しなければならない窮状を乗り切るための身代わりに仕立てられて、だまされていたのは徳の方だった。
社会の最底辺からはい上がろうとした男を待っていた痛切な残酷な現実。
しかし、だましていた人々もまた降りかかった災いからのがれるためだった。
藩の武家、紅花商家、紅花農民すべての生活を守るためには喜左衛門の紅花栽培の知恵を守らなければならない。よそもので身よりもない男の命をひとつ、みんなで使わせてもらったのだ。
死んだ徳のからだを膝に乗せておたかは言う「喜左衛門さまににていたことがあんたサアには気の毒なことだったのォ」

大きく奥行きを取った背景に浮かぶ紅花と農民たちのシルエットは美しく、
山形弁は正確にはわからないながらも耳に心地よく残る。
徳が何も知らずに女房おたかの差し出す白装束を着てゆく姿はさすが。亀治郎はきれいでかっこよかった。

しかし・・・・あれだけ大きな劇場を美しくつかった舞台装置で、上手な役者で、物語が面白くて、セリフが耳に心地よくて、
なんで、「長かった」と感じたのだろう。正直、途中飽きて少々睡魔に負けていた。何故?

物語を重厚に語るために少し作品を大きくゆっくりしすぎてしまったのではないかしら。
「自分とは何か」とか「うり二つの自分と他人を分ける線は何か」とか「言葉を持つこと失うこと」とか「共同体の力」とか「中央の権力と地方」とか
すごく大きいテーマを描こうとしすぎてしまったのではないかしら。

徳は情けない悪党とも呼べない男で、身の丈に合わない嘘にはまってゆく、その姿を端から見てハラハラする。だから、結局悲劇が待っていたその結末に、妙に納得してしまう。小さな男がつく大きな嘘のあわれな結末と残酷でしぶとい現実に。
亀治郎は立ち居がかっこいいし上品だし賢そうだし、ほんとに大店の当主に見えてしまう。なりすますとしたらもっと大きい悪をもってなりすましているように見える。大きい舞台と亀治郎の品と展開を丁寧でゆっくりとさせた演出が、物語に合っていなかったんじゃないかしら。
この話は小さい劇場でそっとスピード感を持って演じた方が、秘密めいてふさわしいのではないかしら。

演劇として十分に貫禄のある大作に仕上がっていた。みんなすごく頑張っていた。

だけど、本来そういう作品だったのかなぁ。
赤坂ACTシアターでかもめの舞台を見たあのスカスカ感に似ていた。あれも話の世界に合わない無駄に大きい舞台だったから。

新国立劇場が力入れたんだよね。小劇場でやったら、全然違う作品になっていたのではないかしら。

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June 05, 2011

散歩する侵略者

2011年5月26日 ソワレ 世田谷パブリックシアター シアタートラム

演劇らしい演劇。
楽しくて笑って涙して。そして、考えた。次の日も考えていた。
感情と知性がここちよく揺れて、気持ちがよかった。
前川知大からますます目が離せない。

チケットを取ったときから題名が不思議だったのに、見て行くうちにそのまんまの題だったと分かる。
心地よい驚きと納得。

本人たちが宇宙人と称している何ものかの目的は地球侵略。
そして彼らが人間の情報を集めるためにしているのが散歩。
「宇宙人」も「侵略」も「散歩」も、彼らの存在や行為に地球人(人間)が持っている概念を当てはめた呼称に過ぎない。
人が概念を持つって何なのか。それはどういうことなのか。
とほうもなく哲学的かつ日常に溢れているすべての事象を網羅した恐るべきテーマ。

すごいな。

非常に観念的なテーマの上に繰り広げられるのは、細部がしっかりと造形されている登場人物たち。
繰り広げられるどの会話も、きちんと会話になっている。だから、どの登場人物もただの概念ではなく、つまりステレオタイプの「型」ではなく、「人が変わってしまったしんちゃん」や「中身が宇宙人になった不気味で生意気な中学生」というひとりひとりとして観客の前に立っている。

脚本と共に、役者さんたちの力が大きい。
主役の窪田道聡。初めは「痴呆的におかしいひと」だったのに概念を手に入れてゆくことでどんどん「ひとりの男」になって最後は愛のために慟哭する。
フリーターのマルオ。世間に鬱屈している言葉だけの男が、「所有」の概念を失って、素のあたりまえを抱えて生きる。むしろ暖かく他者に共鳴し自分の心に素直なって強ささえ持つ。
物語はどの人間も内なる概念によって変化するさまを描く。役者たちの変化が見事だった。

劇団イキウメ。恐るべし。

舞台転換や暗転がなく、時には同じ舞台の上にさまざまな人間がいてちがう状況を同時進行させてゆく。
どの人間もそれぞれの都合で生きていることがそのまま分かる効果的な演出。
人生は、劇的場面がぶつ切りになり都合良く張り合わされているのではなく、
連続している時と感情と知性の流れだ、と。

すごいな。この人は。これは、ほんとに前川知大から目が離せないぞ。

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